遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

理系とかIT系とか言ってる場合ではなくてですね

最近IT系の情報を追いかけているのだけれど、セキュリティ産業が盛んなところはどこだと思いますか。

 

実は、イスラエルエストニアだそうです。アメリカとかじゃないみたい。

 

なんでかというと。イスラエル軍事産業が盛んです。

インターネットもそもそもアメリカ軍のシステムから開発が進んだと言いますから、悲しいかな、ITと軍事産業は離れられないみたいです。衛星も結局ミサイルの精度を上げるためだったんだろうし。

 

エストニアは、そもそもどこだかみなさんわかりますか。いわゆるバルト三国というところです。バルト海沿岸の国。北から、エストニアラトビアリトアニア。フィンランとのすぐ近く。

 

エストニア - Wikipedia

 

首都はタリンというところなのですが、旧ソ連時代にIT研究所が近くに設けられていたとか。最近もロシアがエストニアサイバー攻撃をしたとかで、セキュリティ産業が盛んみたい。というかIT産業がすごい発展しているらしい。Skypeが生まれたのもエストニアだって!知らなかったー。

 下記の記事がとても面白いのでぜひ。(てか今書いたことほとんど記事内にあります)

 

toyokeizai.net

 

ノーベル医学生理学賞の大隅教授の受賞で盛り上がっていますが、日本人は研究職とかIT産業に向いてないんじゃないかと感じてきました。

 

すごく「群れ」の思考が強い国だから、突飛な考えとか個性的な性格に対してあまりいい評価がされにくい。成果が見えにくい「研究」というものに対してお金を出しにくい。慣習を大事にするから、ジャンルを超えたビジネスという発想がしにくい(思いついたとしても日本社会では実現しにくい)。

 

全体的に肌感でしかないけれども、ザッカーバーグとかイーロンマスクみたいな人が日本にはいないし、ホリエモンとかは近いと思うけれどアンチもたくさんいるよね。そういうところが、成長の伸びしろを縮めてしまっているのかな、とも思う。

 

だってIT産業って、いかにブルーオーシャンに飛び込んでいくかじゃないですか。今までにないところにうまく使うかが、ビジネスチャンスなわけでしょう。「そういうことは慣例的に受け入れられない」みたいなこと言ってる場合じゃないですよ。

 

そう考えると、軍事産業って国家事業として目標を立てやすいのかもしれないね。国としてやらねばならぬ目標という大義名分もあるし、「敵をやっつける」というわかりやすいモチベーションを作りやすい。

 

日本でも理系・IT系人材がのびのびできるようになってほしいもんです。

そのために、文系人間がIT界隈に手を伸ばして頑張らないとね。

ブログ運営ってどういう気持ちでやるんだっけ

結局全然知らない誰かがぶつくさモノを言っていても、PV数にはつながらないのです。エッセイなんてものは有名人が書くから売れるのであって、なんでもない何者でもない自分なんかが書いてもなんにもならないのである。

 

ブログで売れようとかは別に思ってはいないけど、売れよう(PV数稼ごう)と思ったらそれなりの覚悟が必要なんですね。何か難しいニュースについて解説をするとか、自分のプライベートをさらけ出すとか、誰かを刺激するようなことを書くとか。リスクを取らないといけないんですね。まぁ、あとはちゃんと考えて書く、っていう時間と頭を使うということか。

 

あくまで無難なことをだらだら書いているだけだと、まぁ知り合いがたまにフラッと訪れて「相変わらず変なこと書いてるね」なんてリアルな現場で言われるくらいです。

 

このブログの位置づけについて悩み中。文章をだらだら書いてるのはいいストレス発散にはなるけれど、知り合いが見るのであればFacebookとかでいいじゃん、という気もしないでもない。結局Facebookとかに書いて読者を安定確保するぬるま湯につかって「いいね!」を稼ぐ、という凡庸。

 

うーん、ブログをあえて設けているなら、何かもっとテーマを決めたり時間をかけたりするべきなんだろうとは思うけれど、「まぁ結局自分のストレス発散だし」「備忘録みたいなもんだし」みたいな「別にええやんけ」文脈が頭を出す。

 

うーーーーん

だからはてブは「お題」を提供しているんですね。困ったあなたへ。なんとなく意地張ってそれに従ったことはないんだけど、そんな意地誰も見てねぇよ、ってことですね。

 

友人でもブログ持ってる人いるけれど、みんなどんなモチベーションでやってんですかね?聞いてみたい。

辛酸をなめる>苦渋をなめる

Yahooニュースの国際タブを見ていてね。
9/27(火)の「コロンビア政府とFARC、歴史的和平協定に署名」の記事に感動したんです。すぐにNewsPicksでPickしたんです。あまりPickしてる人いなかったんだけど。

www.afpbb.com

 

50年間も内戦を続けていた中南米の国コロンビアで、対立していた両派がお揃いの白い服を着て、万歳して、ハグして、和平協定を結んだんですよ。50年間もあったら、平和を知らずに亡くなる人もいたでしょうよ。これは、コロンビアの教科書に載るようなすごいことですよ。


***


それがどうだい。今日10/3(月)のニュース。
「コロンビア和平合意 国民投票で否認 内戦終結遠のく」だって。

http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20161003/k10010715411000.html


なんでなんでなんで!つい先週感動したのよわたし。


どうやら、コロンビア革命軍FARCのしてきたことに対する処罰が甘すぎる、という国民の声が多いとのこと。FARCに誘拐された人が数え切れないほどいるということ。自分の家族が連れ去られて帰ってこないという人がたくさんいるということ。

 

***


もうね、自分のいる国が平和だからね。仕事したくないとか、憂鬱だとか、たまに愚痴るけど、それができること自体が平和なんだと。どうしても許せない敵とか、いないものね。


もっとみんなにニュース見てほしいなと、しみじみ思いました。それだけ?って思われるかもしれないけどさ。

青森旅行三日目~三内丸山遺跡と三内温泉、帰宅~

青森旅行ようやく最終日三日目。

前回はこちら↓

habitaso.hatenablog.com

 

最終日三日目。

ちなみに宿はずっと青森駅近くのホテルでした。移動も面倒かなと思って拠点にしてしまった。

 

小雨降る中、青森駅からバスで三内丸山遺跡へ。中心街からバスで20分くらい。市街地に近いところにあるというのが意外。

sannaimaruyama.pref.aomori.jp

 

言わずと知れた縄文時代の遺跡。日本の教科書が変わる大発見でした。

三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。」公式HPより。

縄文時代は狩猟・最終、弥生時代にようやく稲作・定住、という認識でいた私には、「あれ?縄文って定住だっけ?」という疑問符。だが徐々に解決します。

 

雨が降る中到着。

ちょうどボランティアガイドのツアーが始まるところだったので、一緒に回ることに。最初に15分ほどのビデオ。前日の恐山遠征があったので眠くなる笑

 

雨が降りしきる中、再現された広い遺跡へ。まず驚いたのが、幅広く整備された「道」が当時もあったということ。その上に今自分が立っている「道」が作られているということ。竪穴式住居とかを見る前にびっくりしました。まず「道」も遺跡という発想がなかった。

 

そして「三内丸山遺跡はそもそも野球場を作ろうとしたら見つかった」というエピソードにも驚き。「2年くらい発掘作業したらまた野球場作ろう」という想定だったというのも面白い。そしたら出るわ出るわの大発見で保存されることになったそうです。よかった、保存されて。

 

竪穴式住居は苔むして草が生えて、さながら「もののけ姫」の眺め。当時の縄文人の平均身長は150cmほどだったそうで、入口が狭い。でも建物の中は一段低くなっているので、案外広い印象。

 

小高い丘は当時の「ごみ捨て場」。地面を掘るといくらでも土器が出てくるとか。断面図の再現が面白かった。そんな展示方法もあるのね。というかここに何百年ひとびとが定住していたのだろうか…

高床式倉庫もありました。ここで「あれ?」となる。稲作が始まってから高床式倉庫が出てくると習ったものですから。高床式にしてネズミ返しがついているんでしょ?と思っていたものですから。縄文時代にも狩猟・採集で十分に木の実や動物・魚が入手できるなら、保存して定住ということも可能なんですね。三内丸山遺跡、すごい。いかに歴史の授業が時代遅れかがわかる。まぁ平均的な知識をつける教育では仕方のないことですが。

 

徐々に日が差して雨が止む。よかった。

 

そして大きな遺跡には、たくさんの墓地があった。

 

世界史で一番最初に学ぶのは「猿人・旧人・原人・新人」という人類の進化なのですが、それぞれの段階で「言語の使用」「火の使用」など特徴があるんですね(明確に区別はできないけれど)。その中で「死者の埋葬」の習慣というのも大きな特徴で。ヒトが生きていく上で、自分が生きることだけではなく、亡くなった人を弔うという習慣が文化の現れであると。「死んだ人はどこに行くの?」という理由づけを行うということが、人が生きていくために、そんなにも昔から必要だったのね、と。「ミーム」ってやつなんでしょうか(にわか知識)。

 

三内丸山遺跡にも子供の埋葬、大人の埋葬の跡がたくさんありました。今は跡形もなく、「ここに多くの人が埋葬されていました」というガイドのお話しを聞くだけ。

 

ただ、ここからは人骨は出土していないそうです。ではなぜ「このあたりに埋葬されていた」とわかるのか?

 

それは「人の脂肪が土に染み込んでいるから」。

 

髪の毛も、人体も、骨も風化してしまっても、人間の脂肪分は地面に残る。それを解析したら「ここには人がいた(あった)」ということがわかるんだそうだ。科学とは恐ろしいと思った。縄文の人たちは、想像もつかないくらい先の未来の人たちに「自分がいた」ということを認識されている。そのエリアは屋根の覆いがされて湿度をキープされ、保存されています。すごく不思議な気分になります。

 

同じように保存されてるのが、六本柱の穴。よくTVとかで取り上げられる象徴的な六本柱のやぐら。あれはレプリカで、見つかった穴はそのままできちんと保存されています。驚いたのは、穴の中に当時のやぐらの「木」が残っていたということ。もう時間の感覚わからなくなってくる…。直径1mほどのクリの木なのですが、レプリカをつくるときに「日本にそんな木はないぞ!」となり。あの有名なやぐらはロシアのクリの木でできているそうです。ガイドのおじちゃんが「笑い話なんですけどね…」と言いながら教えてくれた。スカイツリーと同じように内側へ傾くように建てられた柱。なんのために作られたのか、もしかして屋根があったのか?まだ何もわからないそうです。うーん、ミステリー。

 

そして一番大きな竪穴式住居。当時の公民館のようなもの?でも冬の時期にはみんなで一緒に住んでいたのかも?などなどこちらも謎だらけ。立派な太い大きな木でがっしりと作られていて、みんなでここで集まったらきっと安心しただろうな、と思いました。

 

一通りぐるっと回って、あとは解散。ガイドのおじちゃんのお話聞けてよかった。一人で看板の解説読みながら回るよりも多くの情報をもらえたし、ゆっくり回るからイメージしながら歩けました。

 

途中で突然の銃声。何かと思えば隣に自衛隊の基地があるそうです。銃声なんて聞きなれないから何事かと思った。だだっぴろい芝生が広がる遺跡で、子供たちは社会科見学に集まったりするんだろうこの遺跡で、八甲田山も見える空が広い遺跡で、銃声が聞こえる。縄文人も安らかに眠れないだろう。平和って何だろう。

 

広い再現された外の施設から建物へ。屋内で発掘された品々を見る。矢じり、土器がたくさん。あまりにもたくさんあるから、似たようなラインナップを3回くらい繰り返しで見る笑。「生活の展示」で土器と刃物と矢じりを見て、「狩りの展示」で土器と刃物と矢じりを見て、「重要文化財の展示」で土器と刃物と矢じりを見る。どんだけ出てきたんや…掘ったら捨てるほど出たらしいからな…仕方ないのかな…笑

 

板状土偶というのが初見。土偶ってあのふにゃ~っとした目のうすーいやつだと思っていたけれど、薄い板で十字の形をした土偶がたくさん。胸とおへそが出張っている。みんな「でべそ」だったの?面白いなぁ、人のイメージというのは。

 

お昼を食べて、退散。重要な遺跡ということもあり、とてもきれいに整備されていました。アクセスもよいし、とてもいいですね。外の遺跡付近にある解説の板みたいなやつ、もう少し詳細に書いてあってもいいのかな、とは思いました。

 

***

せっかくなので温泉入りたい、と思い、近くにあった「さんない温泉」へ。

三内温泉三内ヘルスセンター

ネットで見る限りかなりマニアックなのでちょっと躊躇したけれど、「旅行で温泉に入らないなんて…!」と思ったので勇気を振り絞ってGO。

硫黄がすごい。硫黄がすごすぎて、床もカランもボロボロ。湯船に浸かったら湯船の底が硫黄でザラザラ。お尻が痛い笑

でも酸ヶ湯温泉よりすごいという硫黄のせいか、ちょっと浸かっていただけで全身が熱い!のぼせる!少し上がって休憩。でもこんなちょこっとで出てしまうなんて…というもったいない精神で何度か出たり入ったりを繰り返す。ものすごい全身に熱がいきわたる。すごい威力…恐るべし三内温泉…!!!

地元のマダムがたくさんいました。地元の人に愛される温泉、いいね。

休憩スペースが広めでソファで湯冷まし&だらだら。「スタジオパークからこんにちは」が流れるTVをおともに、外の景色をぼーっと眺める。昭和テイストの窓ガラスがいい味出していて、遠くに山の連なりが見えてとてもリラックスできた。永遠にいれる気がした。

 

突如の雨が降ってきて、ザーザー降る雨を眺める。ああ、ぼーっとできる幸せ。

 

新幹線で帰るため、新青森駅へ。歩ける距離だったので、雨が上がってからぽつぽつと歩く。まさかの墓地を通り抜ける。東京の青山霊園みたいな大きい墓地だった。由緒があるところなんだろう。他の人から「なんでわざわざ…」って言われそう。

 

雨が上がって晴れてきて、住宅街を抜ける。雪国ならではの二重の玄関や薄い信号を見ながら、ずいぶん遠くまで来たなぁとか感じる。もう帰るのに。

 

新青森駅は新幹線のために切り拓かれた駅という感じが如実。観光客もけっこういて、カフェはまぁまぁ混雑。新幹線のホームに上がる前に、棟方志功作「二菩薩釈迦十大弟子」のレプリカ!迫力がすごい。帰る直前にとてもいいものを見れた。

棟方志功 | 南砺市立 福光美術館

 

***

 

すごく長い記事になってしまったけれど、そのくらい青森旅行、発見も感動も物思いもたくさん。観光ガイドに頼らずに行きたいところを絞って行ったのもよかったかも。

 

「それどこ?」とか「登山?」とかなんとか言われようと、私は恐山に行ってとても満足したのだ。縄文に思いを馳せたのだ。

 

もう、満足。また一人旅しよう。

青森旅行二日目のもう半分の記録~恐山から晩御飯~

青森旅行二日目半分の続き。すごい今更ですが。

habitaso.hatenablog.com

 

とりあえず恐山、ここです↓

simokita.org

 

さて、バスでようやく登って登って着いたわけですが、突然開けた風景、湖、外輪山、きれいに一定の高さから上に霧がかかって山が一直線に雲に入ってしまっている、というこの曇天模様。最高のロケーションかよ。

 

駐車場も広く、車で来る人もたくさんいるんだなぁと思いました。入口へ。500円払って入場。

 

立派な山門と参道と本堂が一直線に。こんな山の上にどうやって作ったんだろう、という感じがしました。もちろん山の上に寺があるなんてよくあることですが、周りの雰囲気から「ここは人が立ち入るところじゃないだろう」という感じがすごいので、ここに立派な建物が存在すること自体に違和感を覚えました。

 

参道の脇に雨水が流れるところかしらと覗きこんだら真っ黄色。硫黄がすごい。そして参道の両サイドの少し離れたところに「掘っ立て小屋みたいなのがあるなぁ」と思っていたら、なんと温泉でした。男湯と女湯が両サイドに…。男湯のほうからは子供のギャン泣きが聞こえました笑 そりゃこえーよこんなところで風呂って…

 

本堂でお参りして、周辺を散策。横に道が分かれていて、そちらが岩場地帯。ここからがすごかった。

 

もう本当に岩だらけで。硫黄がちょろちょろ流れていて。緑の山は離れたところにはあるんですが、岩、岩、岩。ところどころに仏像やお賽銭箱など。

 

岩だらけで木が少ないからだと思うんだけど、音がしない。無音。

 

砂利を踏みしめる自分の足音しかせず、歩みを止めたら、無音。

時が止まったようだった。本当に異世界に来た気分だった。

ふと、ずっとここにいたいと思った。

 

岩山を上り坂、という感じのエリアを抜けると、岩が転がる平坦なエリアへ。賽の河原を模して石の山が散在。本当に地獄の入口のよう。

 

その先には湖。真っ白な砂浜。

 

今までゴツゴツの岩場に硫黄の黄色い沢を見ていて、景色のギャップに驚く。岩場地帯を地獄、この砂浜と湖を極楽、と昔の人は対比していたんだとか。お気持ち、わかります。湖も岩場とは別の意味でものすごく静かで。静寂ってこういうことか、と。これ三途の川かなとか思った。(湖だけどね)

 

他にも見どころあったけど、バスの時間の都合もあり撤収。

 

風車がお供えされていてカラカラと時折音を立てる。

(けれど、硫黄や火山ガスが出ていることを確認するためとのこと。切ない音だけど実用的だった。)

 

バスでまた下北の町へ。

バスの音声ガイドが「恐山エピソード」を延々と語る。市営バスとかによくある「次、止まります。こちらは○○が便利です」みたいな女性の声のテンプレ音声で。

 

お産で母子ともに亡くなった親子の母親が、自分の両親の夢に出てきて、「亡くなったときにおんぶひもを棺に入れるのを忘れた、恐山に持ってきてくれないか」と両親に言うから、両親は慌てて恐山に届けに行った、

 

とか、

 

16歳の息子を亡くした○○さんは、息子がちゃんとお山に行って迷わずに成仏できたか心配でイタコに頼んで息子の気持ちを聞いてもらった、

 

とか。

 

あの山道をがっくんがっくん揺られながらこのアナウンスを聞いている状況がシュールすぎるなぁと。乗り物酔いする人と、怖い話が苦手な人はダメだね。

その地域では「亡くなった人はお山(恐山)に行く」という民間信仰のようなものがあるそうです。だからこういうエピソードがたくさんあるんだとか。

 

駅からまた電車で青森市内へ。さすがに疲れて電車でうとうと。遠かった…

 

でもかなり貴重な体験ができた。最高。異世界を感じた。

 

夜はホテル近くのお寿司屋さん。とてもおいしかった。迷って迷って「奮発して松だ!」とやってみたものの、東京で食べるよりはるかにおいしいものをはるかに安く食べてしまって「あれれ?」という感じでした。いやぁおいしかった。ウニ、、うへへ。

tabelog.com

 

近くに怪しげな純喫茶があって気になって入店。食後のコーヒーを一杯。レトロな雰囲気が最高。ブリキのおもちゃや振り子時計がいっぱいあって、もっといろいろ見たかったけど閉店時間間もなかったので退散。地元の人にも愛される喫茶店だそうです。とてもコーヒーおいしかった。怪しげとか言ってすみません。

tabelog.com

 

二日目は朝から晩まで動きました。頑張った。

青森旅行の本懐を達したと言ってよい一日でした。

 

三日目もまた後で書きます。

脳みそフル活用したボードゲームカフェ

「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」に関する記事を書いたら、急にPVが伸びた。アクセス元を見たら、やはりそこからの検索流入が多かったみたい。話題性ってすげー笑

 

***

 

ボードゲームカフェに行ってきたのですが、とても楽しかったです。正直なところ普段よく飲んでる飲み仲間と行ったので飲み会のおしゃべりと似たようなところもあったのですが、頭を使ってアナログゲームで協力したり戦ったりというのも面白いなぁと思ったのでした。

 

というかああいうゲームを考える人すごいな。ルールを決めるところからやるわけで、複雑になればなるほどどこかに矛盾が生じることもあるんですもの。

 

パンデミック」というボードゲームを最初にやったのですが、4人で協力して勝利を目指すというシステムがなかなかに面白かった。

 

hobbyjapan.co.jp

 

病原菌の感染を防ぐために各自の能力(職業)の特徴を活かしながらワクチンを作る、というものなんだけれど、ルール把握と準備に20分くらいかかった笑

でも始まったら全員で「ここをこうしたら?」「ここでこれやってからそっちに行けばいいんじゃないか」と作戦会議しながら進めていく感じ。

カードゲームのように手札を隠しながら心理戦、というのも面白いけれど、ボードゲームで協力プレイというのはユニークで楽しかったです。自分はそんなに役立たずでしたが…

結果はパンデミック防げず…もう一回やったらいけるかも。

 

他にもいろいろやったけど、メンバーによって盛り上がるゲームも変わるだろうし、とにかく100種類以上ゲームが揃っているし、何度も行ってもいいなぁと思いました。

 

終わったあとに「ものすごい脳みそ使った、、」という久々の独特の疲労感。たまにはいいっすね。

 

***

 

ボードゲームってよく考えたらそんなにやったことないなぁと。子供のころにはテレビゲームがもう存在していたし、アナログなものだとカルタ、トランプ、人生ゲーム、とか。

 

頭を使うゲームは子供も大人もいい刺激になるものですね。ルール把握、作戦立案(与えられた情報をフル活用すること)、心理戦、などなどかなり頭の体操に効くんじゃないかと。理解力とか成長しそう。

 

モノポリーもやってみたいなー

富士御神火文黒黄羅紗陣羽織

本当にいい仕事するよね。Eテレ

 

Twitter界隈で話題に上がっていた「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」の歌ですが、『びじゅチューン!』というEテレの番組がやりやがっていました。

www.nhk.or.jp

 

美術作品をポップなアニメと音楽で学ぶというものなのですが、HPに過去の曲もあってとても面白くて止まらないです。『Walking!ニケ』とか、たまらん。サモトラケのニケが、肩から小さいバック提げて歩いてるんやで…!

 

***

 

『歴史にドキリ』という番組も昔Eテレでやっていて。けっこう最近ですが、歴史上の出来事をヒャダインが曲にするという攻めっぷり。それをその人物に扮した中村獅童が歌い踊る。豪華かよ。卑弥呼とか女装バージョンももちろんやるのだ!

www.nhk.or.jp

 

自分が子供のころだと、やっぱり『ハッチポッチステーション』。大人になってから振り返って、「あれはQUEENのパロディだったのか!」と気づいたり。母親が子供の私と一緒にゲラゲラ笑っていた理由がわかりました。

cgi2.nhk.or.jp

 

子供番組は、一緒に見ている大人も楽しめないとね。子供にとって一番幸せなことは、一緒にいるパパやママが楽しそうにしていることよね。

 

自分が楽しいと周りも楽しくなってくるし、周りが楽しそうだとこっちも楽しくなってくる。

 

Eテレすごいー

NHKの攻めっぷりにはいつも感服です。