占いは信じるべきか
落ち込んだ時は「自分は世界で2%のカリスマなんだ」と言い聞かせている。
いつだったか、コンサルの会社とかで使われる16タイプ診断の心理テストをやってみた。そのとき「世界で2%しかいないカリスマプロタゴニストです」みたいな結果と「〇〇な傾向があります」というものすごく当たっている(気がする)長々とした分析結果が出て、感心したものだった。それと同時に「自分すげーやつじゃん」とちょっと嬉しくなったものである。もちろんダメダメな部分は見事に言い当てられていた。(「自己分析しすぎ」「たまに利他主義すぎ」とか)サマリー以外の詳しい結果が英語のページしかなくて全部はきっちり読めてないけど…
https://www.16personalities.com/ja/enfj型の性格
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VOGUEの占いコーナーに「しいたけ占い」というコーナーがある。12星座でオーラの色を診断する、というものだが、結構人気なコンテンツ。一年の上半期、下半期の診断はかなりボリューミーで、SNSでもちらちら見かける。これもまた2017年上半期の山羊座を見たときに、励まされたり頷いたりしたものだった。そんなに占い信じる方じゃないのに。
https://voguegirl.jp/horoscope/shitake2017-h1/
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占いはある意味今の自分の状況を善かれ悪しかれ認めてくれるものなのだ。辛い時は「あなたは今、闘いのとき」とか書いてあるし、ちょっと調子がいいときは「今が最強!」みたいに書いてある、というか解釈する。誰でもいいから励ましてほしいときや自信がないとき、占いを見て元気になれるのなら、それはヒトにとって良いものだと思う。
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なんだか8タイプ診断が流行っているのでやってみたが、最終的に「無料でマッチング」に誘導されてげんなりしたのでシェアは死んでもしない。
だってカリスマだからね。
https://m.youtube.com/watch?v=SrvO4baXLWI
ミュシャじゃなくてムハ
国立新美術館でミュシャ展を観てきた。普段は火曜日休館だけど、GWだから火曜日も開いていた。
スラヴ叙事詩が一斉に展示ということで、ミュシャをあまり知らないけど行ってきた!
正式な発音は「ムハ」らしい。チェコ語だとムハらしい。フランスで売れたから「ミュシャ」読みの方が有名だそうで。
スラヴ叙事詩は8m×6mとかの壮大なサイズ。ものすごく広い空間に天井いっぱいまで飾られた絵。それが20枚もあるのだから、「人生をかける」ってこういうことかと迫力を感じた。
パリで舞台のポスターを描いたら評判になり、ポスターや挿絵で生活していたムハ。そこから始まったせいか、絵は絵でもいわゆる西洋画とはちょっと違う感じ。デザイナーとかイラストレーターのイメージ。
宗教要素はあるけど宗教すぎないあたりとか、なぜか人が浮いていたりでも違和感はなく、光の差し込み方がリアルだったり。ポスターとかだとくっきりしたデザインが大事だから、輪郭線がきっちり描いてある。日本の浮世絵にも近いような?
光の差し込み方がすごく綺麗で、あまりにも綺麗すぎて「絵の後ろに照明ついてて透かしてるんじゃないの?」という気すらした。
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スラヴ民族のあり方を…という話だったけれど、島国育ちの日本人にはなかなかわからない話かもなあ。陸続きの土地で言語や文化の違いでそこまで同胞意識を持てる、という感覚が難しい。日本人が日本人を好きなことと同じだと思うけれど、それとも違うのか?
日本における民族発奮的なものは戦争のときくらいにあったようなもので。それもねじくれたもんだ。
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乃木坂をうろうろしてたら洒落てるラーメン屋を見つけてお昼を食べた。バーカウンターが素敵で、夜にはきっと食通な人がたくさん来るんだろうなぁ。
とはいえ、遅めのお昼は人が少なく。カップルがテーブル席でラーメン食べてた。
でもどちらも一言も話さない。自分からは彼女らしき女性が見えて男性の顔は見えなかったけど、彼女がいっさい笑わない。
GWの天気のいい昼下がりに、あの子はラーメンの美味しさを感じたんだろうか?空いた店内に重い空気がそこだけ漂っていて、1人気ままな私は煮卵を頬張っていて、自分の気ままさが少し申し訳なくなった。
いいGW過ごせてますか?
お金より 見た目より 車より「心意気」
『大英自然史博物館展』と『バベルの塔展』と2週連続で上野に行って、青山にあるほぼ日のTOBICHIで『BABEL展』を見て、アートな春した気がしている。高くて最初はあきらめた「ひとつめちゃん」、結局欲しくて欲しくて、今日また行って申し込んできた。ああ、届くの楽しみ。
ひとりでふらふらしては、直近の手が届く欲求を満たしてのんきに過ごしています。新年度どうですか。サボテンの花が咲きました。
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最近は妙に怒りっぽくなったり「理不尽だ」とやけに憤ったり、感情の起伏が激しかった。誰かに文句を言う元気が昔よりあることはいいことだけれど、それで眠れなくなったり体調崩したりしたら意味ないっていう。私が眠れなくなったら問題が解決するのかというとそうではない。「怒る」「怒られる」という行為に慣れてないからうまく発散できないのかもしれない。「理詰め」と「怒る」は別物であって、「怒る」くらいの勢いのエネルギーの発散は「理詰め」では消化しきれないのだ。
よいことも悪いこともずっと考え続けてしまうのが癖です。3秒くらいで寝れるひとになりたい。
そのくせ極度に「利他主義」なのか、といつだったかの心理分析を思いやる。自己分析しがちだしね、当たってるー。
https://www.16personalities.com/ja/enfj型の性格
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椎名林檎とトータス松本の『目抜き通り』を聴いてから、ウルフルズを懐かしく聴き直してみました。
ストレートな曲が多いねぇ。『ガッツだぜ!』の二番の歌詞とかけっこう直接的だなぁと改めて知る。『いい女』も『かわいいひと』も『愛がなくちゃ』も全部ストレートでいいっすね。最近の男性グループの歌は誰かを励ます系かちょっと不思議系か自分探し系かみたいなイメージなのですが(私の最近の音楽知識が偏っているだけかもだが)、こんなにも「お前が好きだぜ!」感がまっすぐな歌はなんだか久々に聞いたような気がします。あと表現が遠まわしじゃないっていう。比喩ばかりでかっこつけてちゃ逆にかっこ悪いのか、と、思わせる。比喩ばかりの人生、反省。
『バカサバイバー』の語りと歌の軽妙な掛け合わせ、最高。そしてサングラスきまりすぎ。
あえて愛とは違う曲をシェアア!!! ハッ!!
くちゃくちゃくちゃくちゃ
最近自分がとても怒りっぽいような気がして、よくないなぁと感じる。
昔から怒ることに慣れていないので、発散がとてもへたくそだ。ここ最近同じことをずっとぐるぐる考えてしまって、「理不尽だ!」と感じたことに対しては延々と、そりゃもう延々と考えてしまうので、夜も眠れないなんてこともあった。あんまりにも考えているとなんだか自分が情けないやら悲しいやらなってきて、なぜか泣けてきてしまった。
理不尽が積み重なって、報われないと勝手に思いこんでいるのだろうか?もう少し私のボランティア精神を理解してほしいなぁなんて思ったり、しているのかしら?
イライラや悲しみをひきずりがちなのでいろいろ調べていたら、そのようにずっとぐるぐるとネガティブなことを考えてしまうことを「反芻思考」ということを知った。牛が胃で消化しては口に戻し、を何度もやるアレ、反芻。
私のネガティブも体の中で行ったり来たりしているのね。
別にそれで消化されるわけでもないので(牛じゃなくて人間だもの)なんとか切り替える努力をしよう。
「寝たら忘れる」という性質が信じられないのだけれど、そういう人はどうやって眠りにつくのだろう?私は眠りにつくのに頭の中に考え事がいっぱい押し寄せてくるから逆に眠れないのにな。別に「寝たら忘れちゃうんだよね」という人も悩み事だってあるし辛いこともあるだろうけど、発散の仕方が全然違うんだろうか?
こんなに人間て違うもんなのねー
暁斎は日本の浮世絵界の僥倖?
そういえば、大映自然史博物館よりも「バベルの塔」展よりもっと前に、河鍋暁斎の展示も見ていたんだった。
「これぞ暁斎!」渋谷のbnkamura。
日本ではそんなに知名度がないけれど、フランスの雑誌の表紙を飾ったこともある有名な浮世絵画家。
というか、オールマイティーーー。
序盤に烏の絵が、鴉の絵がたくさんあったんだけれど、こんなにかっこよく鴉を描くことができるのかと驚きました。真っ黒な鴉の眼光が鋭く、躍動感がビリビリ伝わってくる。そんな掛け軸がたくさん。
他にも仏教的な絵や、動物が擬人化した絵、春画など様々。擬人化のナチュラルさはとてつもない。動物なのに人間ぽい、人間ぽいけど動物。頭と体のバランスが計算されているんだろうなぁ。
ああ、やはり展示を見てから日数が経ってしまうとたいしたことが描けない。もう少しマメにメモを残そう。
大英自然史博物館展を通じてビジネスに思いを馳せる
「バベルの塔」展の前に、大映自然史博物館展にも行っていました。
自然史ということでウン千年、億年前の化石や研究ノートなどなど。南極大陸への探検で見つけてきたものや、探検隊が日本に寄ったときに見つけた海苔とかもあって面白かった。そもそも大英博物館から自然史博物館が分離してできたのは、剥製コレクターの富豪がとんでもない寄進をしたからだというのが驚きで。大富豪っているんだなぁ…
南米やインドネシアを探検したときの、本に挟んだ植物標本が現物で残っているとか、そのとき採集した昆虫とか、どうやってこんなにきれいに保存できるんだろうかと…またきちんと簡単に撮影できるカメラもなかったから、初めてみた鳥をデッサンして実物大で美しい絵に残すとか。そこには主観が入ってはいけないし、昔の「科学」というのは、人間の主観を外すのが難しかったんだろうなぁ。
「呪われたペンダント」も展示されていました。持ち主が不幸になるという伝説から、忌み嫌われてきたペンダント。美しくも怪しい輝きでした。
でも「自然史博物館」のくくりの中でなんでこれが入るのかな?という不思議も…
夜になると博物館の収蔵品が動きだす『ナイトミュージアム』という映画があります。
その映画はとてもわくわくして楽しませるものだった。まさにそれを再現するような映像が流れていて。始祖鳥や昔の巨大なナマケモノの化石をもとに、この生き物はどう動いていたんだろう?というのをシミュレーションした映像。それを単なるCG映像として公開するのではなく、展示されている骨が動き出して、展示ガラスを突いて割って出てきたと思ったら肉体ができている!というね!演出がおしゃれ!それで大英博物館の中を飛び回ったりするわけですよ!素敵!わくわくが倍増。
日本では博物館や美術館というものが「お堅いところ」というイメージになっている気がするのだが、こういう展示方法だけでだいぶ変わっていくんじゃないだろうか。渋谷のbunkamuraミュージアムとかはポップに展示を演出しているイメージはあるし、最近は変わってきているんだろうけれど、まだまだな感じがするね。地方には厳しい話だろうし。
「教養」の必要性がますます訴えられている中で、こういう展示は必要だし、日本の企業ももっとこういう分野に貢献すべきだと感じる次第です。
美術館や博物館の経営コンサルってどういう人がやっているんだろうか?
「バベルの塔」展で頭の中がバベる
「バベルの塔」展に行ってきた。
「バベルの塔」ももちろんだけれど、16世紀ネーデルラントの絵や彫刻がたくさん来ていてとても素敵だった。
その中で木でできた聖人の像があったんだけど、日本の仏像に似たものを感じたんですね。そんなに大きなサイズではないのだけれど、木を削って作られたひと。服の皺や、指先の爪まで繊細に表現されていて、本を片手に見下ろす瞳はおだやかで。日本人が仏や僧を木で作っていたのとほとんど同じようなものを感じました。海外の像って石とかのイメージが強かったから、なんだかこんなところで類似性を感じられたのが驚き。
あとやはり宗教の知識が足らない…!これを機にもう少し勉強しようかな。聖母子の絵もほかの聖なる人々も赤と緑の服が多かったけど理由は何だろうとか、「この人の絵には必ず刀のモチーフが入っています」とかそういう決まりごととかわかった上で鑑賞したら絶対楽しいだろうに。聖カテリナも、聖クリストフォロスも知りませんでした。教養が必要だ。
ボスの絵のユニークさはすごかった。浮世絵の北斎漫画をほうふつとさせるというか。でも北斎漫画のほうがかわいらしい。ボスの絵はちょっとグロいというか怖い部分がけっこうある。人間の欲望とかをそういった化け物の姿で表現したというからだろうか。そういったものが西洋絵画の世界にも存在していたことを知らなかった。ほぼ日とヒグチユウコさんのおかげ。
東京都美術館からほぼ日のTOBICHIへ。ヒグチユウコ『BABEL』原画展がやっていたので。
にしても思うのが、幼いころからブリューゲルやボスの絵に触れていたというのはどのような環境なんだろう…でもあれだけすごく繊細な絵を描くというのはそこの影響もあるのかな。ボスのあれだけぶっ飛んだ(?)世界が「ひとつめさん」や「ギュスターブくん」のおかげでかわいらしくまとまっていて、でも女の子の顔は無表情で。画集買ったのでじっくり見よう。
最近美術館や博物館に行ってもメモも何も残していなかったので取り急ぎ雑記。