時間どろぼう
いますごく『モモ』が読みたい。
ミヒャエル・エンデの『モモ』ですよ。
細かい部分の話はあんまり覚えていないんだけど、時間どろぼうが出てきて人々の心の余裕を奪っていく、というのがすごく印象的で。ゆっくりゆっくり道の掃除をしていたおじいさんが、時間どろぼうに時間を盗まれて(だましとられて)しまったせいで、箒を雑に振り回してがむしゃらに掃除するようになってしまったとか。幼いながら、その様子が画としてすごくイメージができて、『モモ』には鮮烈な印象を覚えました。
児童文学ってやっぱり子供が画をイメージしやすいようにできてるんだと思う。灰色の時間どろぼうたちもそうだし、周りの風景や登場人物の服とかも細かく描かれている。そうやって想像を膨らませながらどきどきしながら読ませるって、大人に向けて書く文章とはまた違った難しさと気遣いだろうな、と思う。
***
なんで急に『モモ』が読みたくなったかというと、最近わたしも時間どろぼうに時間を取られているように思うからだ。
正しくは、時間どろぼうに対するセキュリティが甘くて、時間どろぼうが「なまけごころ」という置き土産をしていくほどなのだ。
単純に、忙しくて心の余裕がないのではなくて。たいしたこともしてないのに気づいたら時間が経ってしまっている、ということが多いのです。私がやる気ないだけ。
どうしてなんだろうなぁ。時間を大切に、意識して、この時間に何をするんだ、っていうのをなるべく意識しようとはしているんだけど、頭がまっちろな状態がけっこうな時間を奪い去っている。
…とここまで書いて、以下のまとめ記事を発見した。
明日も朝早いから早く寝なきゃ、とか思ってるのであまりじっくり読めてないけど、そうだよこういうこといっぱい書いてあったよ!とテンションが上がってきている。
モモに関して教育の視点から論じた文章がこのまとめ記事にも引用されている。
「待つことは時間を持つことであった。」
私たちは時間を過ごしてるんじゃなくて、持っているんだね。
時間どろぼうはセキュリティが甘いから侵入してきてるのではなくて、私自身が時間どろぼうになってしまっていたのでした。