遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

義務感ってそもそもなんだっけ

いざブログ書こう、と思ったはいいが、書くことが思いつかない。

諦めてさっさと寝ればいいんだけど、まぁとりあえず書き始めてみる。

 

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こういうときでさえも、ひねり出してでも書かないといけないのが小説家や漫画家なんだろう。ジャンプで連載している漫画家さんなんて毎週締切があるのだから、ネタ切れなんて言う暇もないんだろうな。小説も同じ。

 

東村アキコの『かくかくしかじか』に書いてあったんだけど、

マンガ大賞おめでとうございます!)

 

「美大生だからと言って絵を楽しくいっぱい描いてるわけでもなく、課題はいやいややっている」みたいなことが書いてあって

(漫画いま手元にないのでニュアンスしか覚えてないです)

やっぱ義務感とかに追いかけられて余裕がなくなってくると、楽しくなくなっていくんだなーと思いました。もともと好きで楽しいものだったとしても。

そんなこと言いつつも続けられるのがプロの人たちであり、つらくても「やっぱりこれが好き」と言い続けられる人たちなんだろうな。

 

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「義務感」という言葉がいいものなのか悪いものなのか最近よくわからない。

 

「責任感が強い」というのはの頼りがいがあっていいイメージかもしれないけど、「義務感があるから」というのはあまり積極的には感じない。

 

何かを「義務」と思い、「義務感」を持って作業を終わらせようと動き始める。そのときまず人がやるのは「とりあえずここまでやれれば最低限度」という下のライン設定である。

逆に言えば、「下のラインさえ越えりゃええやろ」発想だ。

合格点越えてるからいいっしょ、という。

 

確かに楽だけれど、よりよいものへの暑苦しさのようなものはそこにはない。

 

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「責任感」という言葉もなかなかぎりぎりの位置にあって、危ういところもあるように思ってしまう。

その責任感を楽しめるか、自分から持っていると思っているか、他人に持たされていると思っているか、このあたりで「責任感」と「義務感」の重なり具合が決まる。

 

「義務感」に支えられた「責任感」はとても辛い。

そうなってしまうと、毎日がどんどん「義務感」だらけになっていってしまう。

 

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いろいろ書いたけれど、「義務感」も「責任感」も環境にかなり左右される。

だから、全部自力で考え方を変えていけるか、というとちょっと難しい。

 

自分は誰かに「義務感」を与えていないか、「責任感」を持たせていないか(悪い意味で)、ちょっと振り返るようにします。

 

 

宿題やらなきゃーくらいの「義務感」は持っておいていいと思うけどね。