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ってかさぁ。

この接続詞の続きはたいてい役に立たない。

サーフィンはしたことないけれど

知っている曲をYoutubeで流して、Youtubeが勝手に流してくる連続再生に任せるのも悪くない。

 

YoutubeにDJを任せると、私が全く知らない曲を流してくれる。それが案外いい曲だったりすると、知らなかったアーティストに出会うきっかけになる。ランダムということは「未知との遭遇」であり、出会いの可能性を広げてくれる。

 

***

 

「ニッポンに来たい外国人を探す」というようなTVがやっていた。

日本の刀の技術が大好きで、自宅に「ふいご」を作って鉄を叩いて、イチから短刀を作るカナダ人がいた。彼は日本に来たことはないけれど、匠の技術をすべてYoutubeで見て学んだという。「こういう日本語を知りました、『教わるのではなく見て覚えろ』って。」と話す彼。「ふいご」や炭や日本刀の作り方、砥石の入手まですべてインターネット。Youtubeやインターネットはこんなことも可能にしている。

 

インターネットのすごいところは、たまたま「未知との遭遇」を実現するだけでなく、検索すればその「未知」を「追求」できることだ。もう今は、知りたいことはなんでも知ることができる時代になってしまった。

 

ネットサーフィンというのは、ランダムの小波をちゃぷちゃぷやっているようなものだ。誰かの心に突き刺さる「ビッグウェーブ」は人それぞれで、それをとことん突き詰めようものなら終わりがない。

 

毎日毎日ネットサーフィンでちゃぷちゃぷやっているせいで、小さな波の変化に気づきにくくなっているかもしれない。「少し興味があるな」程度のことは、wikipedia見て満足、だいぶわかったワ、ということになりがちじゃなかろうか。お金を払ってCDや本を買ったり、コンサートや観劇に行ったり、そういうことまで踏み込まなくてもある程度わかってしまうから。

 

「知りたい、突き詰めたい」という衝動を起こさせることが難しくなってきている。衝動に突き動かされて何かをしたことがあるかい、ここ最近。

 

マイルドな世の中にスパイスをひとつまみ。

人生に凹凸を付けないと、どんどん感覚がボケてしまいそうだ。