遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

ユートピア交差点

渋谷のスクランブル交差点は海外観光客に人気のスポットだ。

 

最近特にそれを感じる。交差点を見渡せる角からカメラで様子を撮っている人、セルカ棒を掲げながら興奮気味に交差点を渡る人、マークシティと東急の間の通路から交差点を見下ろしている人。交差点を見つめている海外の方がとても増えた。

信号をきっちり守るというだけですごいことなんだろうし、ましてやあんなに大量の人がスムーズに信号を渡っていくというのだから、きっと面白い(というか信じられない)光景なんだろう。

 

今日はそういった海外の方になったつもりで、スクランブル交差点を見下ろしてみた。

ただ観察の対象として見ると、不思議な体験だった。

 

なんだろうこの均質感。十人十色ともいえる多数の人が一気にうごめいているのに、ものすごく均質な感じ。

それは速さだ。歩くスピードだ。あれだけたくさんの人がいるのに、歩く速度がだいたいみんな同じなのだ。向こうから渡る人も、こっちから渡る人も、だいたい同じペースで歩いている。どこかでぶつかって流れが滞る、なんてこともなく、みな同じペースで一定の方向へ進んでいく。

 

本当にこれは人なんだろうか、という気さえ起こった。足並みそろえて行進しよう、というわけでもないのに、どうしてこんなに秩序を感じるのだろう。たくさんの人が一斉に歩くという、この渋谷スクランブル交差点という状況が、一種の生き物のようだった。

 

信号が赤に、青に、それはまるで呼吸のように。

赤、吸う、車が流れる、青、吐く、人が流れる。

 

デモや集会のように、何かの目標や意志のもとに集まろうとして集まった人たち、それを「群集」というならば、これは群集ではない。結果的に集まっているだけだから。行きたい場所はそれぞれに別のものを持っている。

 

目に見える小さな秩序。生きている秩序。意識されない秩序。

「秩序」の成功事例を凝縮したものが、あの渋谷スクランブル交差点なのかもしれない。

 

無意識に美しい秩序を作り上げる、これ理想だね。