遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

本があれば読書できるとは限らない

「本を読みたい」気持ちは本当にあるのに、どうして面倒だと感じてしまうのだろう。

 

本を読みたいし、読む本も買っているのに、読もうという気にならない。暇をしていて本を読む時間はあっても、読まない。かばんの中にいつも入っていていつでもどこでも読めるのに、読まない。

 

もしかして私は「本を読みたい」のではなく、「本を読まねば」と思っているのかもしれない。いい大人なんだからこういう本を読まないと、勉強しないと、意識高くしないと、みたいな。そういう気持ちを積極的に自然に持っているのではなく、なんとなくそうしないとまずい気がするから、というややネガティブな気持ちなんだ。だから、私の中のネガティブが「読む気を起させない」という小さな、かつ根本的な反抗を成し遂げている。

 

自分に正直であるべきだ。本当に読みたくなったら、勝手に読むさ。今まで読んできた本は、読みたくて読んだ本だった。そういう本じゃないと、記憶にも残らない。

 

大人になればなるほど、自分の気持ちすら見えにくくなる。

大人って不便ね。