遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

まっぷっぷ

地理と歴史が好きなもので、ナショナルジオグラフィックが発売した『地図の物語』という本を買いました。

 

地図は今でこそ道案内の機能がほとんどかもしれませんが、昔の人は実用的に周囲をメモっていました。だんだん時代が進んでいくと、未開の地を探検した人が報告するように地図を作りました。そして列強が植民地争いをする頃には、地図を書くことで「ここは俺の植民地だ」とアピールすることになりました。

 

つまり、地図はとても主観的なものだったのでした。

 

自分と関わりのある部分だけ大きく引き伸ばされていたり、宗教的に大事なことだけを地図にしていたり、「メインに何を据えるか?」ということありきに存在していたわけです。

 

それがだんだん技術が発達していって、伊能忠敬が日本中を歩き回って地図を作ったかと思いきや、人工衛星googleの技術でとてもとてもリアルな、事実しかそこにない地図ができあがっているわけです。

 

google mapを見ながら、何か目的を持った地図を自分たちで描かねばならない?

 

そこまでは言わないまでも、地図の多様性が失われていってしまったのかなぁと思いました。

 

 

私が「地理」という科目が好きだったのは、すべての事象がつながっていたから。

マントルから始まって大陸ができて、できた大陸の形や地球上の位置によって海流や貿易風が起こり、気候が分かれて、寄稿によって植生が変わり農作物も変わり、人びとの生活習慣も変わり、都市が生まれ、工業が栄え、ビジネスが移り変わっていくわけです。

地理はそれがわかるととても面白かった。ノルウェーって寒そうだけど、緯度の割に暖かいのよ。なぜかというと、暖かい海流が北へ向かって流れているから。そんなことがわかると、自分とかかわりのない国も面白くなってくるでしょう。

 

技術が発展すればするほど、自分の気持ちが露わになったモノや作品のようなものが、日常生活には出せなくなってくるのかしら。ほら、便利なフォーマットがどんどん増えちゃうから。メールもそうでしょ?地図もそんなもんなのかなとか思って。

 

なんか少しさみしい。

家庭訪問のときに親が先生に対して「学校から家までの地図」を手書きしていたのを思い出した。

 

わかってほしいことだけ書く地図っていうのも、あっていいよね。

 

参考までに、地図好きは空想地図のスペシャリストを知るべし。

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