ってかさぁ。

この接続詞の続きはたいてい役に立たない。

青森旅行三日目~三内丸山遺跡と三内温泉、帰宅~

青森旅行ようやく最終日三日目。

前回はこちら↓

habitaso.hatenablog.com

 

最終日三日目。

ちなみに宿はずっと青森駅近くのホテルでした。移動も面倒かなと思って拠点にしてしまった。

 

小雨降る中、青森駅からバスで三内丸山遺跡へ。中心街からバスで20分くらい。市街地に近いところにあるというのが意外。

sannaimaruyama.pref.aomori.jp

 

言わずと知れた縄文時代の遺跡。日本の教科書が変わる大発見でした。

三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。」公式HPより。

縄文時代は狩猟・最終、弥生時代にようやく稲作・定住、という認識でいた私には、「あれ?縄文って定住だっけ?」という疑問符。だが徐々に解決します。

 

雨が降る中到着。

ちょうどボランティアガイドのツアーが始まるところだったので、一緒に回ることに。最初に15分ほどのビデオ。前日の恐山遠征があったので眠くなる笑

 

雨が降りしきる中、再現された広い遺跡へ。まず驚いたのが、幅広く整備された「道」が当時もあったということ。その上に今自分が立っている「道」が作られているということ。竪穴式住居とかを見る前にびっくりしました。まず「道」も遺跡という発想がなかった。

 

そして「三内丸山遺跡はそもそも野球場を作ろうとしたら見つかった」というエピソードにも驚き。「2年くらい発掘作業したらまた野球場作ろう」という想定だったというのも面白い。そしたら出るわ出るわの大発見で保存されることになったそうです。よかった、保存されて。

 

竪穴式住居は苔むして草が生えて、さながら「もののけ姫」の眺め。当時の縄文人の平均身長は150cmほどだったそうで、入口が狭い。でも建物の中は一段低くなっているので、案外広い印象。

 

小高い丘は当時の「ごみ捨て場」。地面を掘るといくらでも土器が出てくるとか。断面図の再現が面白かった。そんな展示方法もあるのね。というかここに何百年ひとびとが定住していたのだろうか…

高床式倉庫もありました。ここで「あれ?」となる。稲作が始まってから高床式倉庫が出てくると習ったものですから。高床式にしてネズミ返しがついているんでしょ?と思っていたものですから。縄文時代にも狩猟・採集で十分に木の実や動物・魚が入手できるなら、保存して定住ということも可能なんですね。三内丸山遺跡、すごい。いかに歴史の授業が時代遅れかがわかる。まぁ平均的な知識をつける教育では仕方のないことですが。

 

徐々に日が差して雨が止む。よかった。

 

そして大きな遺跡には、たくさんの墓地があった。

 

世界史で一番最初に学ぶのは「猿人・旧人・原人・新人」という人類の進化なのですが、それぞれの段階で「言語の使用」「火の使用」など特徴があるんですね(明確に区別はできないけれど)。その中で「死者の埋葬」の習慣というのも大きな特徴で。ヒトが生きていく上で、自分が生きることだけではなく、亡くなった人を弔うという習慣が文化の現れであると。「死んだ人はどこに行くの?」という理由づけを行うということが、人が生きていくために、そんなにも昔から必要だったのね、と。「ミーム」ってやつなんでしょうか(にわか知識)。

 

三内丸山遺跡にも子供の埋葬、大人の埋葬の跡がたくさんありました。今は跡形もなく、「ここに多くの人が埋葬されていました」というガイドのお話しを聞くだけ。

 

ただ、ここからは人骨は出土していないそうです。ではなぜ「このあたりに埋葬されていた」とわかるのか?

 

それは「人の脂肪が土に染み込んでいるから」。

 

髪の毛も、人体も、骨も風化してしまっても、人間の脂肪分は地面に残る。それを解析したら「ここには人がいた(あった)」ということがわかるんだそうだ。科学とは恐ろしいと思った。縄文の人たちは、想像もつかないくらい先の未来の人たちに「自分がいた」ということを認識されている。そのエリアは屋根の覆いがされて湿度をキープされ、保存されています。すごく不思議な気分になります。

 

同じように保存されてるのが、六本柱の穴。よくTVとかで取り上げられる象徴的な六本柱のやぐら。あれはレプリカで、見つかった穴はそのままできちんと保存されています。驚いたのは、穴の中に当時のやぐらの「木」が残っていたということ。もう時間の感覚わからなくなってくる…。直径1mほどのクリの木なのですが、レプリカをつくるときに「日本にそんな木はないぞ!」となり。あの有名なやぐらはロシアのクリの木でできているそうです。ガイドのおじちゃんが「笑い話なんですけどね…」と言いながら教えてくれた。スカイツリーと同じように内側へ傾くように建てられた柱。なんのために作られたのか、もしかして屋根があったのか?まだ何もわからないそうです。うーん、ミステリー。

 

そして一番大きな竪穴式住居。当時の公民館のようなもの?でも冬の時期にはみんなで一緒に住んでいたのかも?などなどこちらも謎だらけ。立派な太い大きな木でがっしりと作られていて、みんなでここで集まったらきっと安心しただろうな、と思いました。

 

一通りぐるっと回って、あとは解散。ガイドのおじちゃんのお話聞けてよかった。一人で看板の解説読みながら回るよりも多くの情報をもらえたし、ゆっくり回るからイメージしながら歩けました。

 

途中で突然の銃声。何かと思えば隣に自衛隊の基地があるそうです。銃声なんて聞きなれないから何事かと思った。だだっぴろい芝生が広がる遺跡で、子供たちは社会科見学に集まったりするんだろうこの遺跡で、八甲田山も見える空が広い遺跡で、銃声が聞こえる。縄文人も安らかに眠れないだろう。平和って何だろう。

 

広い再現された外の施設から建物へ。屋内で発掘された品々を見る。矢じり、土器がたくさん。あまりにもたくさんあるから、似たようなラインナップを3回くらい繰り返しで見る笑。「生活の展示」で土器と刃物と矢じりを見て、「狩りの展示」で土器と刃物と矢じりを見て、「重要文化財の展示」で土器と刃物と矢じりを見る。どんだけ出てきたんや…掘ったら捨てるほど出たらしいからな…仕方ないのかな…笑

 

板状土偶というのが初見。土偶ってあのふにゃ~っとした目のうすーいやつだと思っていたけれど、薄い板で十字の形をした土偶がたくさん。胸とおへそが出張っている。みんな「でべそ」だったの?面白いなぁ、人のイメージというのは。

 

お昼を食べて、退散。重要な遺跡ということもあり、とてもきれいに整備されていました。アクセスもよいし、とてもいいですね。外の遺跡付近にある解説の板みたいなやつ、もう少し詳細に書いてあってもいいのかな、とは思いました。

 

***

せっかくなので温泉入りたい、と思い、近くにあった「さんない温泉」へ。

三内温泉三内ヘルスセンター

ネットで見る限りかなりマニアックなのでちょっと躊躇したけれど、「旅行で温泉に入らないなんて…!」と思ったので勇気を振り絞ってGO。

硫黄がすごい。硫黄がすごすぎて、床もカランもボロボロ。湯船に浸かったら湯船の底が硫黄でザラザラ。お尻が痛い笑

でも酸ヶ湯温泉よりすごいという硫黄のせいか、ちょっと浸かっていただけで全身が熱い!のぼせる!少し上がって休憩。でもこんなちょこっとで出てしまうなんて…というもったいない精神で何度か出たり入ったりを繰り返す。ものすごい全身に熱がいきわたる。すごい威力…恐るべし三内温泉…!!!

地元のマダムがたくさんいました。地元の人に愛される温泉、いいね。

休憩スペースが広めでソファで湯冷まし&だらだら。「スタジオパークからこんにちは」が流れるTVをおともに、外の景色をぼーっと眺める。昭和テイストの窓ガラスがいい味出していて、遠くに山の連なりが見えてとてもリラックスできた。永遠にいれる気がした。

 

突如の雨が降ってきて、ザーザー降る雨を眺める。ああ、ぼーっとできる幸せ。

 

新幹線で帰るため、新青森駅へ。歩ける距離だったので、雨が上がってからぽつぽつと歩く。まさかの墓地を通り抜ける。東京の青山霊園みたいな大きい墓地だった。由緒があるところなんだろう。他の人から「なんでわざわざ…」って言われそう。

 

雨が上がって晴れてきて、住宅街を抜ける。雪国ならではの二重の玄関や薄い信号を見ながら、ずいぶん遠くまで来たなぁとか感じる。もう帰るのに。

 

新青森駅は新幹線のために切り拓かれた駅という感じが如実。観光客もけっこういて、カフェはまぁまぁ混雑。新幹線のホームに上がる前に、棟方志功作「二菩薩釈迦十大弟子」のレプリカ!迫力がすごい。帰る直前にとてもいいものを見れた。

棟方志功 | 南砺市立 福光美術館

 

***

 

すごく長い記事になってしまったけれど、そのくらい青森旅行、発見も感動も物思いもたくさん。観光ガイドに頼らずに行きたいところを絞って行ったのもよかったかも。

 

「それどこ?」とか「登山?」とかなんとか言われようと、私は恐山に行ってとても満足したのだ。縄文に思いを馳せたのだ。

 

もう、満足。また一人旅しよう。