遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

SNSに投稿していないとき

自分は正直言って、メンタルのコントロールが下手くそである。学生時代は抑うつ状態になり、いろいろなコミュニティを逃げるように脱ぎ捨て、社会人になってからも病院に通ったり薬を飲んだり。そんなことを数年繰り返している。傍から見ていてわからないという人もきっといるだろう。元気なときもあるんだもの。

 

***

 

母が更年期で体調を崩していたときに「TVで見るような元気なおばあちゃんたちみたいに、年を取ってから旅行なんてできるかしら」なぁんて弱気なことを言っていた。

 

そのとき自分は、知ったふうに言い返したものである。

 

「ああいうふうにTVに映ったり旅行をしたりする人たちは、元気なときだけ外に出てるの。外に出て元気にしている姿を見てるから『元気なお年寄りだ、すごいなぁ』と思うけど、調子が悪いときは外に出ないで家にじっとしてるんだよ。私たちが目にするのは外で元気にしているところだけだから『元気なお年寄り』ってつい思っちゃうけど、みんなどこかしら具合悪いところもあるんじゃないの」

 

母は「なるほどね」と妙に納得したようだった。

 

***

 

SNSも同じである。

 

元気で楽しいこと、頑張っていることをついつい投稿したくなるものだ。逆に、元気がないことをつぶやいたり投稿したりすると「かまってちゃんかよ」「メンヘラか」みたいに思われるようにも感じて、どうも何も言えなくなる(そもそも投稿する元気がない場合もある)。結果的に、SNSのタイムラインはリア充(リア獣)が埋めつくしていくのだ。

 

そんなポジティブな彼らも、きっとしょんぼりするようなことも日々感じているだろう。そしてネットの世界じゃない誰かにこっそり相談したり、匿名性の高いどこかで憂さ晴らししたり、心にため込んだりしているんだろう。

 

***

 

今日の『ほぼ日刊イトイ新聞』より。
------------

ほぼ日刊イトイ新聞

 ぼくが、なにかを言ったりやったりするとき、
 モノサシのようにしている「問いかけ」を紹介しておく。
 「わたしが、あなたに、なにか迷惑をかけましたか?」
 ポイントは、「わたし」と「あなた」を決めることだ。
 「わたし」ではない他人のことは答えられないし、
 「あなた」でない人の問題を、言われても困る。

------------

 

落ち込んだり、自信がなかったりするときは、

【「わたしが、あなたに、なにか迷惑をかけましたか?」】というこの問いかけがうまくできない。

 

「わたし」がものすごく小さくなる。
そしてここで言う「あなた」が「すべて」に近いくらい大きく怖いものになる。

 

「わたし」という存在自体に自信がなくなると、「わたし」の境界線が曖昧になる。「わたし」という基点がふにゃふにゃになってしまうと、周りの景色もぼわぼわと曖昧になっていく。「あなた」が得体の知れない怖いものになる。

 

そして、いつ何をやっても、誰かに対して迷惑をかけている気持ちになる。

 

「わたし」を確固としたものにすること、自信を持つこと。そうするとだんだん周りも見えてきて、判断を下したり意見を言ったり、そういうことがスムーズになってくる。でもそれが難しい。自分じゃできない。

 

周りにそういう人がいたら「あなたってこういう人よね、素敵ね」って教えてあげてください。

 

***

 

SNSの「投稿する」を押していない、もう半分の気持ちも忘れずに、見透かしてあげたい。