遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

メモ帳なんて実用道具から抽象的なデザインまで~扇の国、日本@サントリー美術館

六本木のミッドタウンにあるサントリー美術館で開催されている「扇の国、日本」という展示を見てきました。

www.suntory.co.jp

 

以下、HPより引用。

宗教祭祀や日常生活での用具としてだけでなく、気分や場所、季節に応じて取りかえ携帯できる扇は、貴賤を問わずいつでもどこでも楽しめる、最も身近な美術品でした。和歌や絵が施された扇は、贈答品として大量に流通し、また、人と人をつなぐコミュニケーション・ツールの役割も担いました。
さらに扇は、屛風や巻物、そして工芸や染織などとも結びついて、多彩な作品を生み出していきます。あらゆるジャンル、あらゆる流派と交わる扇には、日本人が求めた美のエッセンスが凝縮されているのです。

 

 扇はもちろんのこと、扇をモチーフとした絵画、屏風、焼き物、着物まで幅広く展示されていました。行く前は「扇」がたくさん展示されているのかなと思っていたので、展示の幅広さにびっくりしました。

 

ユニークだったのが、扇の製作にかかった費用の請求書。江戸時代ごろのもので、「扇何本でいくらですよ」というのが書いてある請求書が展示されていて驚き。そしてなかなかのお値段。

 

あと朝廷や歌会、儀礼的な場で、持っている扇をメモ帳代わりにしていた、というエピソードも面白かった。要するにカンペです。誰が何を言ったかとか、儀礼での決まったふるまいの覚書とか、そんなのを書いていたとか。テスト前に消しゴムのケースにカンペを書いておくようなことと似てる笑 そんなことが当時の社会でも行われていたと思うと、一気に身近に感じます。

 

あと、儀礼の場での誰かの失言(あいつあんなこと言っちゃったな、みたいなこと)を扇にメモった人がいて。そんな危ういメモが書いてあるなんて露知らず、当人の息子が勝手にその扇を持ち出して使っちゃって、メモがばれて顰蹙を買った、こんちくしょう、、、なぁんてことが書いてある日記まで展示されてました。日記などなど、扇にまつわることが残されている文献も多く展示されていました。気軽に貸し借りしたりするような、扇はそんな身近な道具だったんだなぁというエピソード。

 

今回の展示は、扇自体の美しさだけでなくて、扇を取り巻く人々の生活や文化も伝えようとしていたんだなと思いました。

 

扇の紙の部分をきれいに並べて貼った大きな屏風も。扇コレクターって当時いたんだろうなぁ。マニアにしかわからないトークを好きなもの同士でしてたんだろうなぁ。

 

扇自体ももちろん展示されてました。でも絵画の展示と比べて絵がコンパクトなのでやや迫力はありません。源氏物語とか昔のお話をデザインの元ネタにしていたり、和歌とセットで描いてあったりするので(和歌の崩し字が読めない!)、事前知識が少ない私にはなかなか理解の及ばない部分がありました。もっと知識があれば、「この扇という小さな空間にこんな世界観が広がって、、、!」みたいな感動をもっと感じられたろうに。

 

扇自体の展示の中で異才を放っていたのは、河鍋暁斎の扇。(以下プロフィールの参考までに)

bijutsutecho.com

 

山姥と金太郎が描いてあって、まずそのモチーフ独特すぎるだろうと。背景も水色と黒の横縞模様でなんとも怪しげな雰囲気で、怪しいんだけど水色のせいでややポップな感じもして、この扇を持っている人は相当な変わり者だったんだろうなと思いました。わたしゃ、怪しくて持てない。

 

大きな絵の背景に扇のデザインが紛れ込んでいたり、デザイン・模様として「扇」が成立していったというのも、それだけ人気の道具でおしゃれな素材として広まっていたんだなと。屏風の中に扇がいっぱいあってそれぞれの扇の中に絵が描いてあって、、、と不思議な感覚になる絵も。

 

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いわゆる大きな絵の展示で感じるダイナミックさ、というのは正直自分はあまり感じられませんでしたが、当時の人々の生活が垣間見えるのがクスッと笑えて、当時の文化が身近に感じられる、そんな展示でした。個人的には、アートというより歴史や文化・風俗の勉強になった、という感じだったかな。

 

扇の絵は細かい部分も多かったので、単眼鏡欲しいなと少し思いました。美術館に通っていると、けっこうマイ単眼鏡で凝視してる人いるんですよね。買ってもいいかもなぁ…。

 

もちろんアートとしてすごく楽しめる人もいるだろうし、楽しみ方は人それぞれということで。

 

2019年もいろいろ美術館巡りしたいぞ。

(前の記事の松濤美術館は2018年に行ったものなので、今回の扇の展示が2019年美術館初めでした。)