遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

楽しさは楽ではない

GW前半は実家に帰っていた。

つぼみが大きくなった我が家のサボテンは、私が実家に帰っていた間に咲き誇っていたようで、家に帰ると既につぼみがしぼんでいた。

ちょうど花盛りだったところを見ることができなくて残念だ。

 

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短くてもいいからもう少し更新頻度を上げたいなぁと思う。

なかなか難しいものだ。

 

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PCが壊れてしまった。バッテリーがいかれてしまったようで、電源コードを常につないでいないと動かない状態。キーボード打ったりデータを保存したりと動きそのものは問題ないが、PCの持ち歩きは絶望的だと思った方がいい。まぁもとから大して持ち歩きなんてしないけれど。

 

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NHKのLIFEというコント番組で、ムロツヨシが「どうしてやろうかしゃん」というコントをやっている。「どうしてやろうか?!どうしてやろうか?!」と言いながら何もせず、こっちが「かばんを奪う気だな!?」など言うと「そうしてやろうか!?お前のカバンを持って行ってやろうか!?」と言って行動し始めるという、現代が生み出した「指示待ち妖怪」だそうだ。面白いのでぜひ見てほしい。

 

他にも「宇宙人総理」や「プラス車掌」、「ゲスニックマガジン」など、ネタ見せ番組が減った昨今においてかなりクオリティの高い面白いコントをたくさんやっているので、本当に見てほしい。内村さんはやっぱすごい。あとココリコ田中さんを見直しました。

 

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録画したEテレの『SWITCHインタビュー 達人たち』という対談番組を見た。妖怪ウォッチの生みの親である日野晃博×俳優 大泉洋という組み合わせ。

 

その中で、大泉洋が「僕は結局人を笑わせたいんだと思う」と言っていて、日野さんが「大泉さんて飲み会とTVの中と変わらないものね」と言っていて、仕事として笑わせようというのではなく、常に誰かに笑っていてほしいという気持ちを飾らずに持ち続けているんだなと思った。

 

人を笑わせるというのはバカではできない。

 

その場の空気、その会話のメンバーの持つ感覚・知識、興味のありそうなこと、会話の流れ、そうしたものをくみ取りながらみんなが面白く感じるように話すことが必要だと思う。自分の英雄譚みたいなものを語るのはただのナルシストだし、人の面白いことやミスをエピソード風に話し続けるのも「揚げ足拾い」のようでときにリスキーである。

 

誰かを面白がらせている人というのは、その人は楽しいけれど同時にけっこうな緊張感も持っているのだ。飲み会の後に「今日は楽しかったなぁ」と思う一方で、「今日はちょっと言い過ぎたかな」と反省しているかもしれない。

 

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毎日常に楽しくありたいと思う。それはきっと幸せで素敵なことだと思う。

だけど「楽しい状況」を作りだすのは「楽」なことではない。

それなりに身を削りながら「楽しさ」を生み出し、そしてリカバリーするように「楽しさ」を自分で消費していく。

 

「楽しさ」は人間の代謝と同じようなものなのね。

生み出しては消費され、消費されては生み出され、

その環境に貢献していると周りに見なされる人は大事にされるものなんだろう。

 

「楽しさ」はきっと「エネルギー問題」なのだ。