遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

わたしってばドーナツ

「この川に橋をかけてください」と言われたとする。

私はそのとたんに動けなくなってしまう。

 

「この川にかける橋の設計図はこれです」と言われたとする。

私はものすごくうまく働くと思う。

 

はたしてこれがいいのか悪いのかはわからない。

得手不得手、向き不向き、なんて言葉があるけれど、日本はやはりジェネラリストが天下の世の中ですし。

 

昔から、夢や目標というものがない。遠くにあこがれることもない。この人と何かをすると面白いだろうなぁとか、この人はすごいなぁとか思うことはあっても、「この人のようになりたい」とは思わないのである。あくまで自分は「そこ」とは切り離されている。

 

かといって唯一無二の存在になりたいのか、というとそれも違う。目立ちすぎるのは苦手だし、リーダーというタイプでもない。世の中にインパクトを与えようと思ったこともない。

 

私はあくまで、周りの人に面白がられていたい、周りの人のためになりたい、というそれだけなのです。(と、気付いた)

だから身の回りの理不尽には憤るし、身の回りの悲しみは慰めたくなるし、身の回りの人を笑わせたいと思うのです。あくまで身の回り。

 

「身の回り」ではあるけれど、そこに「自分」は入っていないようにも感じる。

 

このような弱気な、遠慮がちな姿勢がいいのか、というと難しい。自分の可能性をすごく、すごく狭めてしまうことだろう。かといって、新しいことをしようとするとビビり体質がすごいから、他の作業がすべて非効率になる(し、ひどいときはネガティブになって動けなくなる)。

 

長所や得意を伸ばし続けるべきだろうか?でもそれで認められるには、よほどの結果を出さないといけないだろう。何か結果を出すということは、いったいどういうことなんだろう。人に認められるほどの何か、ということ?自分で納得しきった何か、ということ?

 

今まで他人からの評価で「自分」を保ち続けてしまってきた、その弊害にやられています。

 

出会いと別れの季節には、気持ちがぞびぞびします。