遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

あつい①「熱い」について

小学校高学年の頃だと思う。毎年8月のお盆のことである。

 

そもそも我が家は日本的なイベントをきっちりしっかりやる家で、お盆もそのうちの一つ、恒例行事だった。仏壇とは別に小机を出して小さな仏壇を作り、白い布を敷き、お線香を立てる香炉の灰をきれいにする。果物やお花をお供えして、キュウリの馬とナスの牛をあつらえる。家紋入りの提灯を納戸からえっちらおっちら持ち出して、説明書を見ながら組み立てる。しかも2つ。と思いきや、くるくる回る飾りのついた提灯も組み立てる。それでもって玄関に吊り下げる大きな提灯と、親戚から贈られた吊り下げ型提灯を組み立てる。提灯だけで5つもあるじゃないか。そして小さな仏膳を用意して、食べ物もお供えするのだ。送り火まではやらなかったかな。

 

 

(提灯のイメージが伝わるかな、と思いググったら、家で組み立てていたのは盆提灯と言うらしい。それなりのサイズ感である。

お盆・新盆・お盆提灯(盆ちょうちん)

 

そして家族全員でお墓参りに行く。両親と兄2人、5人で車に乗り込んで、エアコンがなかなか効かないと文句を言いながら15分くらいでお寺に着く。

 

お寺に着いたら仏花やお線香を買う。卒塔婆も買ったかな…このあたりは記憶が曖昧だ。綺麗で新しい卒塔婆を父が担いで運んでいた記憶がある。兄が水桶に水を汲んで、もう一人の兄と母が仏花の束を両手に持って、自分の家の墓地へ向かう。私はお線香の束を持っていた。

 

いつもは煙いから嫌がっていたのに、なぜそのときだけ自分が持っていたのかはよくわからない。2cmくらいに太い束になったお線香を2束、両手に持って、我が家の墓へとだらだら歩いていく。煙が後ろに流れていく。

 

お線香は火がついているから、風向きに気を付けながら運ぶ。風に煽られて燃え上がったら大変だ。自分の体を風よけにして、くるくる回りながら歩いていた。

 

お盆だし、どこの家もお墓参りをしているようで、墓地には目新しいお供えの花があちこちに色づいていた。味気ない墓地に白や黄色の花、青々とした葉っぱが鮮やかにぽつぽつと見つかるのは不思議な光景だった。

 

自分の家のお墓について、お花を供えて、墓石に水をかけて。お墓は狭いので、家族で順番にお線香をあげる。私が抱えていたお線香も少し短くなってきていた。家族に分けるためにお線香をいじっていたときに、「びゅっ」と風が吹いた。

 

あっっっっっつ!!!!!!!!

 

お線香の束が「ぼわっ」と燃えて、私の指にかかった。「火がかかった」というのは変だけど、そんな感じだった。

 

というか、とりあえず焦って熱くて、水桶に手を突っ込んだ。

 

そのとき、

 

「おまえ、指毛燃えてね?wwwwww」

 

というようなことを家族の誰かに言われた。

 

そんなん知らんがな。

 

この「ゆびげがもえる」という言葉の破壊力がすごすぎて、誰が言ったかも本当に指毛が燃えたかもよく覚えていない。

 

というか子供に指毛あったか?あっても産毛?

 

もうこの言葉の印象のせいで、私の記憶の中で「あったかなかったかわからない指毛」がチリチリしているのだ。私の指の上でチリチリしていやがる。今だってそんなに指毛ないのに。

 

お線香を落としてしまったのか、お墓参りは普通に終わったのか、もうその辺もよく覚えていない。お墓参りは毎年同じようにしているから、正直記憶もごちゃごちゃだ。

 

でも、「あつい」記憶を探ったら、一番に思い出したのがこの「ゆびげがもえる」事件だったのだ。

 

あのとき手を突っ込んだ水桶の水は、お寺の井戸水のせいか、とてもひんやりしていた。そのせいか、チリチリとした熱い感覚が水の中で目立っていた。