SNSに投稿していないとき
自分は正直言って、メンタルのコントロールが下手くそである。学生時代は抑うつ状態になり、いろいろなコミュニティを逃げるように脱ぎ捨て、社会人になってからも病院に通ったり薬を飲んだり。そんなことを数年繰り返している。傍から見ていてわからないという人もきっといるだろう。元気なときもあるんだもの。
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母が更年期で体調を崩していたときに「TVで見るような元気なおばあちゃんたちみたいに、年を取ってから旅行なんてできるかしら」なぁんて弱気なことを言っていた。
そのとき自分は、知ったふうに言い返したものである。
「ああいうふうにTVに映ったり旅行をしたりする人たちは、元気なときだけ外に出てるの。外に出て元気にしている姿を見てるから『元気なお年寄りだ、すごいなぁ』と思うけど、調子が悪いときは外に出ないで家にじっとしてるんだよ。私たちが目にするのは外で元気にしているところだけだから『元気なお年寄り』ってつい思っちゃうけど、みんなどこかしら具合悪いところもあるんじゃないの」
母は「なるほどね」と妙に納得したようだった。
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SNSも同じである。
元気で楽しいこと、頑張っていることをついつい投稿したくなるものだ。逆に、元気がないことをつぶやいたり投稿したりすると「かまってちゃんかよ」「メンヘラか」みたいに思われるようにも感じて、どうも何も言えなくなる(そもそも投稿する元気がない場合もある)。結果的に、SNSのタイムラインはリア充(リア獣)が埋めつくしていくのだ。
そんなポジティブな彼らも、きっとしょんぼりするようなことも日々感じているだろう。そしてネットの世界じゃない誰かにこっそり相談したり、匿名性の高いどこかで憂さ晴らししたり、心にため込んだりしているんだろう。
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今日の『ほぼ日刊イトイ新聞』より。
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ぼくが、なにかを言ったりやったりするとき、
モノサシのようにしている「問いかけ」を紹介しておく。
「わたしが、あなたに、なにか迷惑をかけましたか?」
ポイントは、「わたし」と「あなた」を決めることだ。
「わたし」ではない他人のことは答えられないし、
「あなた」でない人の問題を、言われても困る。
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落ち込んだり、自信がなかったりするときは、
【「わたしが、あなたに、なにか迷惑をかけましたか?」】というこの問いかけがうまくできない。
「わたし」がものすごく小さくなる。
そしてここで言う「あなた」が「すべて」に近いくらい大きく怖いものになる。
「わたし」という存在自体に自信がなくなると、「わたし」の境界線が曖昧になる。「わたし」という基点がふにゃふにゃになってしまうと、周りの景色もぼわぼわと曖昧になっていく。「あなた」が得体の知れない怖いものになる。
そして、いつ何をやっても、誰かに対して迷惑をかけている気持ちになる。
「わたし」を確固としたものにすること、自信を持つこと。そうするとだんだん周りも見えてきて、判断を下したり意見を言ったり、そういうことがスムーズになってくる。でもそれが難しい。自分じゃできない。
周りにそういう人がいたら「あなたってこういう人よね、素敵ね」って教えてあげてください。
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SNSの「投稿する」を押していない、もう半分の気持ちも忘れずに、見透かしてあげたい。