遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

大学時代の劣等感を振り返る~上野千鶴子さんの東大入学式祝辞~

上野千鶴子さんによる東大入学式の祝辞が話題です。

www.u-tokyo.ac.jp

 

自分も読みました。一度さらっと読んで「うわぁーーー」と衝撃を受けて。読んだときは電車の中だったので、家に帰ってもう一度じっくり読もうと思っていました。

 

それなのに、なぜか2回目を読み始めることができません。

 

1度目の衝撃を受け止め切れていないのだろうか。優しさに打ちひしがれているのだろうか。それとも、過去・現在の自分を振り返って自省の念にかられているのだろうか。自分でも説明できない感情なのですが、2回目をしっかり読もうという気持ちに今はなれません。

 

語り口がとても優しいです。冒頭は「女子学生が少ない問題」に触れており男女の機会不均等について述べている印象ですが、後半こそぜひ読んでほしい。

「がんばっても報われないことはある」ということ。

「知を生み出す知を『メタ認知』と言い、それこそ身につけるべきである」ということ。

 

私たちが社会で生きていくうえでの心構えをわかりやすく平易な言葉で伝えてくれています。周囲を見渡す視点のリセットを促してくれます。大きな大きな世界(社会)の中にポツンと存在している「私」を、とてもとても高い視点から見つけて励ましてくれます。

あまりにも大きくて、わかりやすくて、安心感のあるやさしさに、驚いています。

そして、もっと昔にこの言葉を真摯に受け止めて、視野を広くしておけばよかったと少し後悔もします。

同時に、今からでも遅くないという気持ちも沸いてきます。

 

 

大学に入ったとき、劣等感の塊でした。

テストや試験というわかりやすい指標がなくなって、大学では自分で「問い」を見つけなければならないということに、頭を切り替えられなかった。いくら単位を取っても、単位の成績が「優」だとしても、他に「なんだかすごい人」はいっぱいいる。授業に来なくても、単位を落としても、充実して「オレ毎日楽しい!」と自信満々な人はたくさんいる。

それに比べて自分はどうなんだ。与えられた課題をこなすことだけに習熟して、自分で道を切り拓くことができない。その勇気のなさを自覚して(自覚せざるを得なくて)、劣等感を抱いていました。中途半端に成績がよかったぶん、しょうもないプライドがあったんだと思う。開き直って大学からリスタート、ということができなかった。

テストでいい点を取って優越感や達成感を得ていた自分は、自分の外の世界に「自分の軸」を預けていました。人生を進んでいくなら、「周りに何と言われようと自分はこうしたい」という「軸」を自分の中に持っていないといけない。逆に、ちゃんと自分の中にその「軸」を持っていれば、周りのことなど何も気にせずに、自分の好きなこと、信じることを全うできる(と思う)。私はいつも周りからの評価ばかりを気にしていて、自分がどうしたいのかさっぱりわからなかった。

 

そのままぬるっと社会人になって、今でもその状態を引きずっています。何が好きか、得意か、何をしたいか、どう生きていたいか。自己啓発本やネットニュース、ライフハック、いろんな情報があふれる中で、いろんなものを参考にして。情報をいくら仕入れたとしても、行動するか否かなわけです。果たして自分は動けているのか?

自分は動けていないと思うし、そのことを情けないと思う。せめてできるのはこうして文章で自分の気持ちを吐露するくらい。

でも、「はびたそさんと同じ気持ちです、文章にしてくれて『自分もそうだったんだ』と思えた、ありがとう」と言ってもらえたことがありました。とてもうれしかった。

 

とても些細なことかもしれないけれど、今後も自分の気持ちや気づいたこと、思ったことを文章にしていくことは、自分のために続けていきたいと思っています。「メタ知識」を身に着けることには遠いかもしれないけど、継続したら何かと何かがつながるかもしれないから。がんばれない自分が、誰かを励ますこともできるかもしれないから。

 

2回目、読めるのはもう少し先になりそう。