遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

「まーくん」との思い出

幼稚園の頃、近所によく遊ぶ友達がいた。その子は「まーくん」という男の子。幼稚園は一緒だけど違うクラス。通園を一緒にするわけでもない。でもなぜかよく遊んだ記憶がある。

 

家から少し歩くとまーくんの家。私はまーくんの家までトコトコと歩いて、まーくん家のお庭の入口から「まぁーあーくん、あーそーぼ!」としょっちゅう叫んでいた。そうすると「はぁーあーい!」と返事が来て、まーくんが迎えてくれる。まーくんの家に上がり込んで、しょっちゅう遊んでいた。

不思議なもので、一緒に外で遊んだ記憶がない。幼稚園で一緒に遊んだ記憶もない。まーくんが私の家に来た記憶もない。いつも、私がまーくんの家に行って、まーくんの家で遊んでいた。

 

子供はなんでも面白がれる。遊んでいたと言っても、凝ったおもちゃで遊んだ記憶もない。田舎の大きな家のまーくん家。縁側(廊下?)に面して畳の和室が2部屋続いていて、襖を開けはなして全部つなげて、柱を中心にぐるぐる駆け回っていた。「畳の縁は踏んじゃだめだよ!」とかルールを作って、ぴょんぴょん跳びはねながら。それだけですごく楽しかった思い出。記憶はあやふやだけど、家の中で駆け回っていたことは覚えている。

 

まーくんには「かっちゃん」という弟がいた。だから、私・まーくん・かっちゃんの3人で遊ぶこともあった。まーくんとかっちゃんは正反対の兄弟だった。まーくんは自分のことを「僕」と呼び、おとなしくて品がよい。かっちゃんは自分のことを「俺」と呼び、元気いっぱいで暴れん坊。私の母が「あの2人はまったく反対よね」とよく言っていた。ある日、3人で折り紙で遊んでいたときに、かっちゃんがハサミをセロハンテープでぐるぐる巻きにして、ハサミを使えなくしたことがあった。中途半端に開いたままでセロハンテープにがちがちにされたハサミは、なんだか悲しそうに見えた。

 

まーくんにはおばあちゃんがいた。まーくんの家に遊びに行くと、いつもおばあちゃんも一緒に私を迎えてくれた。ニコニコと品がよく、短く切った髪に眼鏡が似合う、かわいらしいおばあちゃんだった。なんとなくだが、おばあちゃんはかっちゃんよりもまーくんをよく面倒見ていたように思う。私・まーくん・かっちゃんの組み合わせより、私・まーくん・おばあちゃんの組み合わせの方が多かった気がする。なんでだったろう。あまりその辺りのことは覚えていない。なんでかな、とは特に考えなかったんだと思う。当時の私にとっては、まーくんと遊ぶことがメインの目的だったから。

 

そんなに仲がよかったけど、幼稚園を卒業したらさっぱり会わなくなってしまった。変わらず近所にまーくんの家はあったし、まーくんはそこにいた。でも、私の家とまーくんの家の間に小学校の学区の境目があり、私たちは別々の小学校に進むことになった。それがきっかけかはわからないけれど、いつしか自然と遊ばなくなって、全然会わなくなってしまった。

 

幼稚園の頃は、同じ幼稚園で違うクラス、通園も別々、それなのにわざわざ一緒に遊んでいた。小学校に入ってからも同じように遊んでおかしくない。幼稚園の頃は、幼稚園にいる時間帯に一緒に遊んだわけじゃなく、一度家に帰ってからまーくんの家に遊びに行っていた。小学校が別になっても、同じように一度家に帰ってから私がまーくんの家に遊びに行くことは十分可能だったはずだ。それなのに、それをしなかったのはなぜだろう。

 

会わなくなると、不思議なことに「たまたま会う」ということすらなくなった。近所にいるのに、近所で見かけることもほとんどなかった。同じ道を反対方向に通学する私とまーくんは、ずっとニアミスしていたんだろうか。

小学校の高学年か中学校かのとき、本当に久しぶりにまーくんを見かけたことがある。数年ぶりだったと思う。そのとき、ちょっと遠くからまーくんを見ただけで、何も会話をしなかった。「久しぶり!」とか話せばよかったと思うけれど、その記憶が無いということは何も話さなかったということだ。お互い久しぶり過ぎて、会わなさすぎて、気まずかったのかもしれない。目は合わせたと思うんだけど。写真のような静止画の光景しか思い出せない。

 

自分は家の近所に同世代の友達が少なかった。小学校で友達はできたけれど、「同じ団地で幼稚園からずっと友達同士だった」みたいな子がいっぱいいた。自分の家はそういう子たちのコミュニティからは少し離れたところにあって、しかも同じ幼稚園から同じ小学校に進学する子が少なくて、交友関係は小学校でリニューアルされたようなものだった。幼稚園で仲がよかった友達とも会わなくなった。私は新しい環境の友達作りでいっぱいいっぱいだったんだろうか。「毎日学校で会う」という友達を優先させるようになったんだろう。そりゃそうだ、そのほうが毎日暮らしやすい。

 

 

まーくんとよく遊んだのは、たかだか1~2年の間の出来事だ。今振り返ると、まーくんの苗字は思い出せないし、正直言って本名もうろ覚え。はっきりと名前を思い出せない。だけど一緒に遊んだということはしっかり覚えている。

 

今日ふと、まーくんのことを思い出した。「まぁーあーくん、あーそーぼ!」と叫んだある日の記憶は、暖かくて晴れた春の日だった。日当たりのよいお庭と、テコテコと家から出てくるまーくんが目に浮かんだ。まーくん、元気にしてるかな。遊びに行かなくなっちゃって、ごめんね。

 

子供の交友関係は環境で目まぐるしく変わる(と、自分の場合を振り返って思う)。でも、そのときどきを全力で遊んだり、喧嘩したり、エネルギーの注ぐ量がいつも全力だ。だから、短い間の出来事でもしっかり覚えていることができるんだと思う。

大人になった自分は、とても省エネに生きているなと思う。月日がどんどん過ぎていって、数年前のこともよく覚えていない。内容が薄くなっているのだ。まーくんと遊んだ頃みたいに、ひたむきに目の前のことにエネルギーを注ぐ、そういうことをしたいなと思う。

 

まーくん、今どうしてる?げんきしてる?