遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

親戚が亡くなって感じたこと

少し前の話。

 

祖母が亡くなった。葬儀のために、上野駅16番線ホーム発の常磐線特急に乗る。上野東京ラインが開通してから、帰省の際は品川発の特急を使うことが多かった。今回は時間の都合から上野発の特急に乗ったが、昔から変わらず薄暗いホームである。出勤時間帯ということもあり、多くの人が常磐線普通列車から降りてくる。

 

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自分は親戚づきあいが苦手な子供だった。愛想がなく、自分から話すこともそんなになかった。母方の祖母の家は実家から車で30分、毎年盆と正月に挨拶に行った。それ以外でも行くことはあったが、盆と正月参りの印象が強い。年の近い従兄弟もおらず、大人たちが交わす「どこそこの誰々が何々をした」という、自分にはよくわからない世間話をBGMに、時間が過ぎるのをただ待っている子供だった。なかなか自分から話さないから、「はびたそちゃんは学校はどうなの?」「はびたそちゃんは風邪ひいてない?」と話しかけられることが常だった。自分から積極的に「こんなことがあってね」と「聞いて聞いて」な無邪気さのない冷めた子供だったので、「勉強はそこそこ頑張ってるよ」「風邪はひいてないよ」などとそこそこな返事をしてばかりだった。

 

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祖母や親戚が嫌いなわけではなかった。ただ、会う機会が少ないことや、会いに行けば大人のコミュニティに放り込まれることもあり、ちゃんとしないといけない相手、親戚社交界の出来事、という他人行儀な気持ちになってしまうのだ。無邪気に甘える相手でもない気がするし、無愛想すぎても変だし、いつもどうしていいかよくわからなかった。そのせいか「はびたそちゃんは大人しいね」と思われていたようである。

 

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祖母との思い出が蘇る。七歳の七五三で着物を作ってくれると言って「何色がいい?」と聞かれ、間髪入れずに「紫!」と答えたとき、「紫??」と当惑されたこととか。お喋りすることも、よたよたと急須を傾けてお茶を淹れてくれることも、銀歯を見せてにこにこ笑うことも、もうない。

 

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この世から消えたいと思ったことがある。自分は能無しで穀潰しで、存在自体が迷惑だからいっそいなくなってしまいたい、と思ったことがある。でも、祖母は本当にいなくなってしまった。人間は何かを食べて消費してエネルギーを燃やしている生き物だが、祖母の身体はもう何も循環していない。いくら「消えたい」とほざいたとしても、自分は今もエネルギーを燃やして生きて存在しているのだ。

 

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悲しさや寂しさに暮れるよりも、現実感がないせいかぼーっとしてしまう。曇天の窓を見上げながら、生きるとか死ぬとか、子供の頃の思い出とか、ぱらぱらと車窓に流れて行く。駅のホームで買ったコーヒーが冷めてようやく飲み頃になった。車窓では水の張った田圃が白い曇り空を映している。