遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

ジャズな生き方してるかい

ヨルタモリを見ていたら、「人生は用事の積み重ねなんだよ」と言っていた。

「夢を持ってる人生は悲観的」「夢持ってるやつはジャズじゃない」とかとか。

 

賛否両論あるのかもしれないけど、どちらかというと賛成である。

目標がある方が「なにくそ」と思える人もいれば、目標を持つとその遠さに絶望してしまう、要するに自分のコントロールがへたくそな人もいるんだと思う。

 

私はどちらかというと夢持っちゃダメなタイプ。

夢を持てない時点で、既に目標に向かって頑張ってる人と自分を引き比べて「なんて自分はダメなんだろう…」というスタート地点にも向かえてない阿呆。

 

だから、夢否定派、明日のためではなく今日のために今日を生きる、という考え方にはとても励まされてしまうのであります。

 

明日のためではなく今日のために生きる、というのは吉原さん曰く「ジャズな人」らしいですよ。悪く言うと向上心がないんだとか。

 

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いきなり暗めなこと書いてますが、そんなに落ち込んでるわけではない。

 

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友達の結婚式に行ったときや、facebookに上がっている結婚式の写真を見たとき、自分がもし結婚したら、結婚式で両親に読む手紙に何を書くんだろうと想像してしまう。というか予行練習並に内容を考えてしまう。いつだったかその想像だけで一人で感極まって泣いたことがある(注:結婚の予定はない)。

 

しかしどうしたって父より母の方が内容が濃くなってしまいそうだ。

それはバランスが悪い。親族がいっぱいいるのだから。

 

あと書き出しをどうしようか、とか。

お父さん、お母さんへ、とかじゃなくて、

「東京の鳥は高いところを飛ぶのね、と、一緒にお茶をしたときにお母さんは言いましたね」みたいなポエティックな始まりの方がいいかしら、とか。

(ちなみにこの母の一言は実際に発せられた言葉であり、なんだかDNAを感じてしまった印象的な一言であったということも事実である)

 

私はこのブログでもわかるように冗長に話しがちだから、長さにも気をつけなくてはならない。結婚式のクソ長い話ほどどうでもいいものはない。

 

そして小ネタを挟みすぎては会場の人に伝わらないこともあるから、家族しかわからないような内輪ネタは入れすぎてはいけない。ネタを入れたら解説をしないとならないし、ネタの解説を自分でするというハラキリレベルの恥は浴びたくない。

 

ああなんて大変なんだ結婚。

自分の手紙だけでもこれだけいろんな周りを考慮しないといけないのに、さらにもっともっと周りの周りまで考えないといけないなんて。

さらに物好きもいるようで、最近は『DIY結婚式』なんていうなんでもかんでも『Do It Yourself』な結婚式まであるらしい。すごいな。結婚。

 

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そのうち私も結婚して、それも人生の中の用事のひとつとして積み重ねられていくのか。明日ではなくてただの今日というジェンガをしていくことが大切なのだろうか。

 

ひっこぬくだけじゃなくてのっけるまでがジェンガですし。

あれもある意味用事の積み重ねですね。