ってかさぁ。

この接続詞の続きはたいてい役に立たないけど、でも言いたくなることを書きためるブログです。

お絵かきしりとり 楽しいぞ

年末年始の帰省を考え中の皆さん、オンラインでもオフラインでも3世代またいで楽しめる遊びをご紹介しよう。

 

「お絵かきしりとり」である…!

ルールは簡単だ。「しりとり」で言った言葉に合わせて、その絵を描く。

「リス」と言ったら「リス」の絵を描く。
「スイカ」と言ったら「スイカ」の絵を描く。

ものすごくシンプルなのだが、一気に「しりとり」の難易度が上がる。

 

たとえば「りんご→ゴリラ」なんてよくある流れだ。

ただ、「ゴリラ」の絵を、あなたは描けますか?


自分の絵心で描ける範囲の言葉で「しりとり」をしなければならない。
そして、絵を描くことに気をとられて、「よっしゃこれなら描ける!」と意気揚々と描くと、「ん」がついて終わってしまうことに気づかない…なぁんてことがある。
「んなことあるわけねぇだろ」と思うかもしれないが、過去3回ほど我が家で発生している事案です。「リボン」とか「プリン」とか「ライオン」とか、描きやすいのよね。

 

オフラインでも楽しいし、オンラインでもカメラに絵を見せながらやればじゅうぶん盛り上がります。「なんの絵でしょう?」なんてクイズぽくもできます。「しりとり」で頭の文字はわかるから、ヒントありのイラストクイズにもなるのだ。子供もそうだけど、大人も案外盛り上がる。30年生きてきて、「親が意外に絵がうまい」と初めて気づきました。拙い絵もまたよし。

親が「トイレ」を描いたときに「和式」だったときは、関東圏内3か所をつないだオンライン帰省で全員ゲラゲラ笑ってました。ジェネレーションギャップが絵に出るんですね。添付画像は私の絵ですが、母に「コカコーラはそうじゃない」とダメ出しされました。

f:id:habitaso:20201215161243j:plain

f:id:habitaso:20201215161226j:plain

ジュエリー加工に人類みんなどんだけ頑張ってるの~真珠@松濤美術館~

松濤美術館で「真珠― 海からの贈りもの」展を見てきました。

真珠|渋谷区立松濤美術館

 

f:id:habitaso:20200924070915j:plain

以下、HPより引用。

世界最古の宝石のひとつである真珠。貝をあけ、そのなかから取り出される真珠は、カットや研磨など人間の手を加える前から美しい輝きを放ち、古くから人々を魅了してきました。真珠があしらわれた宝飾品は、富や権力の象徴でもあり、王侯貴族はこぞってそれらを身につけました。
本展では、古代から近代に至るまで英国をはじめとするヨーロッパ各国で製作された真珠の装身具を展示します。これらの装身具は素材の美しさはもちろんのこと、洗練されたデザインや職人による精緻な細工が施されたもので、真珠の宝飾文化のすばらしさを伝えています。
その他にも、本展では日本における真珠の歴史についても取り上げます。1893(明治26)年に御木本幸吉(1858-1954)が世界で初めて真珠の養殖に成功した後、今日に至るまで日本における真珠の養殖は発展し続けてきました。明治以前の日本では真珠が装身具として用いられることはほとんどありませんでしたが、養殖真珠産業が興った後には、高度な金属細工技法による美しい装身具が製作されるようになりました。
まさに「海からの贈りもの」である真珠。本展ではその魅力を多面的にご紹介します。 

 

松濤美術館は地上2階、地下1階で3フロア。1フロアがそんなに広くなく、全体としてはこじんまりした美術館。上野などメジャーな美術館に比べたら展示量は少ないけれど、集中力維持したままじっくり見れるので、このくらいの量で私はちょうどいいです。そんなに混雑していないから展示品を見るために並ぶこともない。自分のペースでゆっくり見れます。

お値段も大人1000円とリーズナブル。真珠のアクセサリーを身に着けていくと2割引でした(事前に気づかず通常料金を支払った自分…)。

 

さて、以下のような展示構成です。

  • 序章 古代の真珠装身具
  • 1章 ルネサンスからロココ
  • 2章 ジュエリーが花開いた19世紀の真珠
  • 3章 19世紀末から20世紀初頭 ひろがる真珠の世界
  • 4章 代表的な真珠貝と真珠
  • 5章 いにしえの日本の真珠
  • 6章 真珠王御木本幸吉 日本の真珠装身具の黎明
  • 7章 人の手から生まれた真珠 養殖真珠

 

以下、感想をつらつら。

 

・紀元前3世紀のアクセサリーのレベル高すぎ問題

2300年前くらいのイランで発見された金のイヤリング。金の部分はシリンダー状にきれいな5mmサイズの円筒(しかも彫ってデザインしている!)がつながっていて、細かい加工がなされている。先端に真珠がついていて、現代でも通じるデザイン。そんな時代にこんな細かい加工ができたのかと驚く。ネックレス(これは帝政ローマ期だったかな?)もフックの部分が現代とそんなに変わらない仕組みで作られていて、レベル高すぎてビビった。

 

 

・エナメルってなんだっけ

時代が下ると「エナメル加工」されたアクセサリーがほとんど。「エナメル」ってなんだっけ?と思い、その場でググる。日本の七宝焼きみたいなもので、金属を下地にして釉薬(ガラス質ぽいもの)を入れて高温で焼くこと、らしい。Wikipediaの説明が長くてよくわからんかった。でも展示後半で短くまとめて解説してくれていた。早く気づけばよかった。他にもジュエリー制作の専門技法について解説がまとめてあったので重宝した。欲を言えば、専門用語一覧は展示の前半に置いてほしかった。作品ごとの解説を読むときに知らない専門用語が出てきて、その時点で「他の場所に解説がまとまってると知らずにググる」ということをしてしまったので。でもまとめて解説してくれるのはありがたい!

さっきググったら熱のこもったエナメル解説記事を発見して、わかりやすかったので貼っておきます。

エナメル 七宝 アンティークジュエリー

 

・江戸時代以前の真珠の扱い

日本で最も古いとされる、縄文時代の「縄文真珠」が展示されていました。いびつな形で綺麗に光っているわけでもない。少し白くてきれいな石、と思われてもしょうがないかも。石マニアの縄文人が拾って取っておいたのでしょうか。

江戸時代の真珠についても詳しい解説がたくさん。当時は粒の小さい真珠がメインで、装身具ではなく薬になっていた!つぶして薬にしていたかと思うと、なんともったいない…大きな真珠が珍しかったのと、加工技術がそんなにないから今イメージする丸くて輝く真珠なんて無かったのだ、と思うと「珍しいものを飲んだら効く!」という発想のほうが優先されそう。長崎のほうには「真珠奉行」「玉奉行」という真珠漁取り締まり業務を行う人がいたそうです。お金になったのかしら。

 

・日本と海外のデザインの違い

前半は、18~19世紀ヨーロッパのアクセサリーが多数展示されていました。後半に日本の真珠ジュエリー(まさにミキモト!)があったのですが、デザインに違いがあるなと。ヨーロッパの方は、大きな真珠、小さな真珠、他宝石多数を敷き詰める。エナメルも色をつけてきれいに埋める。3mmほどの小さな真珠も糸を通してつなげてぎっちり並べる。そう、隙間なく埋める!一方で日本は隙間が多い。HPに載っている<帯留「桜」>はまさにそうで、空間の美があるからこそ全体のデザインが際立つ、という感じがしました。皇室の方が使っていたミキモトのネックレス、とてもきれいだった…個人的には日本のほうが好みです。

 

 

コロナもあって久々の美術館でしたが、しっかり楽しめました。松濤美術館は館内人数50人の人数制限を設けており、感染ルート調査のための住所記載、体温測定、消毒などなど工夫しているのが伝わりました。小規模な美術館ほど大変だろうなぁ。

 

娯楽を楽しみにくい昨今ですが、渋谷の小さな美術館に行ってみるのもよいのでは?過去にはこんな展示も。エッジのきいたテーマで面白い。

habitaso.hatenablog.com

 

松濤美術館、建物も素敵なのでおすすめです。 

電子で楽しむ漫画、紙で楽しむ漫画

久々に漫画を売った。

鬼灯の冷徹』1~30巻全部。

morning.kodansha.co.jp

 

地獄を舞台にしたコメディ。地獄を会社と見立てて、中間管理職の苦悩や日本社会へのシニカルなイジりとか、そういうのも織り交ぜながら地獄の解説をしていく。マニアックな情報好きとしてはなかなか好きな漫画だった。

 

古い巻をしみじみ読み返すと小ネタに気づくこともあって、一時期は隅から隅までしっかり読んでいたものだ。

 

アニメ化もされてファンもけっこういる様子。主人公とそのライバル(?)キャラがイケメンなので、BL的な楽しみ方をする女性ファンもけっこういたみたい。地獄とゆかりのある地方温泉でイベントをするなど、地方への貢献も大きかったのでは…

 

アニメも薄い本も特に興味がないので、原作単行本を粛々と買っていました。でも最近はJUMP+ばっかり読んでしまって、あまり読み返すこともなくなり…

今日本棚をふと見上げて「売ろう…」と思ったのでした。

 

ときめかないものは捨てましょう、って、こんまりも言っているじゃない。

 

近所のブックオフで1400円ほどで売れました。直近の巻は新しいせいか、一冊100円など3ケタの値段がついて驚きました。

 

漫画を買う動機が「作者への応援」になってる。電子版で読んでるのに買っちゃったりするもの。

 

本当は、売って空いた本棚スペースに『Dr. STONE』を入れたかったんです。ブックオフにあったらまとめ買いしようと思ってた。でもなかった…

www.shonenjump.com

これもJUMP+でちまちま読んでて、なかなか面白くて今ハマり中です。

キャラがいっぱい出てくるのに、それぞれ個性があって描き分けがすごい。あと科学で物事を解決していくワクワク感。いいね。

 

いい加減スマホ見過ぎなので、気を付けねばと思うこの頃。漫画もじわじわ増えているので、また本棚整理をしないとなぁ。

半クラッチの「半」は「半端」の「半」

半端の半。知ってた?

半分の半。じゃないよ。

 

今日久々にバイクの教習受けてきました。予約がなかなか取れないもので。

低身長のため、どうしても停止が危うい。まだまだ時間がかかりそう。

 

半クラッチもそうだし、フロントブレーキもそうだし、ついつい「グッ」と握るか離すかしてしまう。そうじゃなくて、「半クラッチかかって動いた」「ブレーキがきいた」を感じて目線を上げることが大事、と改めて説明を受ける。「バイクによってどこでクラッチがきくかわからないんだから」「クラッチ何mm動かしてるかわからないでしょ?正解はないんだから、動いたところが正解」と言われて、ようやく…(遅い)

 

クラッチ離す、ブレーキかける、という手元の動作ばかりに気を取られて、全身のバランス感覚や目線がぐらぐらになっていたなぁと気づく(本当に遅い)。でも発進も停止もずっと課題だったわけで、意識すればするほど手に力が入っちゃう。そうして今日まで来ていたのだ…

 

ゲームのたとえがとてもわかりやすかった。

「TVゲームする人はコントローラー見ないでしょ?」

「それと同じで、バイクも手元を見ない。行く先を見るの」

なっとくーーーーー!

 

発進の時なんてクラッチがどこでかかるかばかりが気になってて、目線なんてどこだかわからなかった。(危ない)

 

あと「ブレーキの準備」として、「ブレーキに指を添える」を覚えた(えっ)。

自転車のブレーキをかける直前と同じ、と言われてこれも納得。普通に走行しているときにブレーキに指を添えていると怒られたので(アクセルかブレーキかはっきりしないとダメ!と前に言われた)、いつも停止の直前にあたふたしてブレーキをかけるから、勢いで握りこんでしまいがち、とのこと。スピード落としてクラッチかけて、ギア下げて、の間にブレーキに指を添えるだけで、全然違う…!

 

ようやく停止がぐらぐらしなくなってきたけど、さて次の教習でもこの感覚を残していけるか…いまだに立ちゴケするのよね。ぐぇえ。第一段階の「みきわめ」までに、まだまだやることが7コくらい(クランクとか、スラロームとか)あるのに、あと2コマくらいしかないんだけど、どうなるんだろう。延長する気まんまんなのですが。

 

安全第一。

 

お土産に膝にアザを持ち帰りました。

ご無沙汰ブログ 毎日の検索流入に感謝して

全然書いていなかった。

ライフスタイルの変化がいろいろあったりして、あまりブログを書く気になれずにほったらかしていた。

 

そして世の中の流れに乗って、noteを書いていた。

と言っても3日坊主で全く続かず、たいしてPVも伸びない(PVを伸ばそうとしてないからそうなんだが)、何を書くと決意もしてない、そんな感じでそちらもほったらかしになっていた。

 

そんな中、久々にはてなブログにコメントがついた。

数年前の記事だった。

 

そういえば、はてなブログをよく更新していたときは、Google Analyticsを入れてアクセス解析をするなど調査もしていたのでした(はてなブログでもアクセス解析はできるが、Google Analyticsだともう少し詳しく見れるのだ)。美術館や博物館に行ったレポート、最近気になったTV、あとはなんでもないエッセイ的なこと。よく更新していた。

 

それでアクセス状況を見てみると、1年以上ほったらかしていたのに毎日アクセスが20件くらいある。検索流入だと思うが、noteよりも全然流入している。突然ついたコメントも、「たまたま見かけた」と書いてあった。

 

noteよりも、はてなブログの方が「たまたま見かける」率が高いのかもしれない。

 

コロナ禍の中で、どこどこに出かけたというのもたたかれそう、暗いことを書いてもしょうもない。発信する元気もなくなっていた。身も心も引きこもりだ。スマホばっかり見て、何も生産していないなと思って少しむなしくなる。自分の心と体の元気のために、「頑張らない」をここ最近のモットーにしていたが、「もしかして頑張らなさすぎ…?」と心配にもなる。

 

HSPの本を読んで、いろいろ納得する。本の中に、「やらなきゃ、と思うのか、やりたい、と思うのかを見極めよう」的なことが書いてあった。それで「やらなきゃ」から避けまくったおかげでだいぶ元気になってきたと思うが、「やらなきゃ」がなさすぎるのも問題な気がしてきた。ブログを書くのも「やらなきゃ」になりつつあったので、最近書いてなったなぁと気づいた。

 

そこで「やってみよう」をやってみよう、ということで、突然に

 

バイクの教習所に通い始めた。

 

身長が低いのでなかなか大変だけど、勢いでバイク用のブーツまで買ってしまった。

 

久々に試行錯誤、トライ&エラー、成長している実感があって楽しい。体を使って何かを学ぶ体験って、楽しい。Youtubeで「バイク 立ちゴケ防止」なんて動画を見ている笑

 

 

…ものすごい久々に書いたので雑な構成だけど、書いてみると楽しいね。

バイクの話、旅の話などなど、ネットの世界以外のことを書けるように、ちょっとずつブログ再開しようと思いました。

雨みたいに気まぐれな本音と建前

降ってるか降ってないか、よくわからない霧雨である。ビニール傘を「ぼすっ」と差すと、音もなく小さな無数の水滴が張り付く。あっという間にビニールは白っぽくなって、傘を通した視界は点々模様に埋まっていく。ようやく「けっこう降ってるな」と思う。

***

GW前に駅の階段で転んでからずっと、左足の親指が痛い。日常生活は問題ないが、ぎゅっと曲げたりぐいっと反ったりするとちょっと痛い。ずっと違和感があるので整形外科でリハビリを始めた。どうやら、変に庇って歩いたことで足の筋肉が落ちてしまい、可動域が狭まっている、扁平足気味になっているとのこと。足の指をグーパーグーパーして筋肉をつけるといった筋トレが必要で、アドバイスを受けてからはしょっちゅう足をぐいぐいと動かしている。

***

「こうすると痛いですか?」と聞かれても答えに窮する。正直、激痛はないけど、違和感がある程度なのだ。動かしているうちに慣れてもきて、痛いのか伸びて気持ちいいのかよくわからなくなってくる。リハビリを担当する理学療法士さんからすれば、患者の意見がないとリハビリ方針も立てられないわけで、「痛い気もします」「違和感はあります」といったふわっとしたことを言われても困るだろう。そんな先方の気持ちはわかるけど、中途半端に治りかけのせいか自分の足の感覚すらよくわからないからしょうがない。おまけに今日はリハビリの時間を1時間勘違いして遅刻してしまった。つくづく申し訳ない。

***

本音と建前は、たまにどっちがどっちだか自分でもわからなくなる。本音を隠し持ったまま綺麗な建前を作り上げる人もいる。それは自分で本音と建前の区別がきちんとついているからできることだ。自分がどうしたいかわからなくて、でも多分周りにはこう見せた方がいいと感じてはいて、そういうことをしていると本音と建前がぐちゃぐちゃになる。周りから見えている自分を優先すべきとも感じ、でもその「自分」は建前だから本音じゃないよな?とも感じ。

***

「足が痛いです」は本音なのだろうか。それとも、リハビリをスムーズに進めるための建前なのだろうか。正直自分のさじ加減で、「痛い」ことにもできるし「痛くない」ことにもできる。治したい気持ちが強ければ「痛い」ことにして具体的なリハビリ方針を貰った方がいい。でもそれは嘘ではないのか?こんなところで顔を出さなくていい良心らしき奴がひそひそ囁いてくる。

***

サカナクションには雨の曲が多い。中でも、『Ame(A)』はかっこよくて好き(マイナーだけど)。『あめふら』『雨は気まぐれ』なと他にも何曲かあるが、どの歌詞にも「嘘」や「気まぐれ」「心変わり」のような言葉が出てくる。そしてだいたい、夕暮れ〜夜の話である。

心に雨 にじむ僕の白い一直線
嘘がほら夜の海のよう
揺れる揺れる正しい言葉
(あめふら)

きっと僕が何も言えないのは この雨のせいで
雲が晴れる前に言い訳しておくんだ
(Ame(A))

雨は気まぐれな僕のようで、僕そのもののようだ
(雨は気まぐれ)

雨が降る夜に、車のヘッドライトに照らされた雨が見える。蛍光灯に照らされた雨が見える。確かにどんな弱い雨だろうとそれは白い線を描いていて、気まぐれで嘘っぽい感じがする。だってそもそも雨って白くないでしょう。

***

ザーザーやらポツポツやら音はするけれど、傘を差すも差さぬも自分がどのくらい濡れていいかのさじ加減である。傘を差してみたら「けっこう降ってるじゃん」と気付いて、でもそれは気づかなくてもいいことで。本音を強く持ち続ける(認識し続ける)ことなんて大抵できなくて、強くなったり弱くなったりする雨みたいに気まぐれで困ったものなのです。自分のことは自分が一番わからないことを知っている。

***

足が痛いと言いつつヒールのあるサンダルを履く。ピンヒールじゃないから大丈夫だ。スニーカーに雨がじわじわ染みるより、素足に雨がかかる方が自分は気楽だ。このぐらいの雨だったら。

ありそうな世界を創って遊ぼう〜ショーン・タンの世界展@ちひろ美術館〜

ちひろ美術館で、「ショーン・タンの世界展」を見てきました(と言うのは2回目)。

www.artkarte.art

 

1回目は、ちひろ美術館について語って終了してしまいました。

habitaso.hatenablog.com

 

今回はようやくショーンさんの展示についてです。以下、HPより引用。

ショーン・タンは、約5年におよぶ制作期間を経て、2006年に移民をテーマにしたグラフィック・ノベル『アライバル』を発表しました。テキストを使わずに緻密にイメージを組み立ててつくり上げたこの物語は、すぐさま国境を越えて世界中の人々を驚かせました。本展は、タンの全面的な協力のもとに開催される日本初の大規模な個展です。彼が最初に絵と文を手がけた絵本『ロスト・シング』から最新作までの原画と習作のほか、スケッチ、映像作品、変な生き物をかたどった立体作品も含め約130点の作品を展示し、彼がつくる奇妙で懐かしい世界をたっぷり紹介します。

 

ショーンさんのことは知りませんでした。絵本もそんなに読まないし。ほぼ日で毎日更新される糸井重里さんのコラムで「『ショーン・タンの世界展』がすごくよかった」と書いてあって、それで知りました。ほぼ日には弱いんです笑

それで公式HPを見てみたら、不思議な鉛筆モノクロの世界。私の好きなタイプ。自分はヒエロニムス・ボスのシュールで不思議な絵が好きなのですが、それに近いものを感じてさらに興味がわきました。

f:id:habitaso:20190622110158j:image

 

企画展のHPとは別に、ちひろ美術館のHP内にも紹介ページがあります。こちらも具体的なエピソードや説明が詳しいので読んでみるとよいかと。

chihiro.jp

 

美術館の2F、1Fの部屋1つずつに絵の原画、実際の絵本、映像作品など幅広く展示。狭いながらもしっかり楽しめます。

 

まず2Fから。最新作『内なる町から来た話』の大きな絵。透明な魚を抱える少年の絵が綺麗だった。作者の飼っているインコ(オウム?)の大きな頭がダイナミックな絵も。どれもビビットではなく優しい色合いです。

見たことのない街、だけどどこかにありそうな世界、そんなイメージをかきたてるように感じます。それぞれの絵の背景やコンセプト、あらすじが添えてあるので、想像が膨らんで見てて楽しかった。説明抜きに素敵な絵ももちろんあるけど、作り込んだ設定を聞いた上でイメージする楽しみ方もワクワクするよね。

 

作者が世界各地を描いた小さな油絵も多数。油絵って古い町並みを描くイメージが強いので、その辺にありそうなスーパーやお店、カフェが油絵のタッチで描いてあるのが新鮮でした。そうよね、油絵=古いってわけじゃないよね、と再発見。

 

あとは『アライバル』の原画やスケッチなど。絵本自体読んだことはないですが、展示される原画を見るだけで「いい!」と感じる。漫画のようなコマ割りで少しずつ話が進んでいく、感情が動いていく。セリフが一切無いのにそれが伝わる。移民がテーマなので、登場人物の辛い境遇も伝わってくる。だけど、不思議な乗り物や生き物がたくさん出てくる世界観、急に主人公の暮らしに入り込んでくる愛らしい生き物、そのおかげか希望を感じることができます。でも、人間を超える圧倒的な権力も描かれて恐怖をかきたてる。

作品を作る過程がユニークでした。自分の写真を撮って構図を考え、その写真に線を入れて書き換える、というリアルと想像が入り混じった作り方。移民の実際の写真をコラージュして絵を作り、リアルな材料から想像を作る。全くゼロからの想像ではなく、ある程度事実を入れ込むことで、感情移入や想像がしやすくなるのかなと思いました。

 

続いて1F。

ショーンさんのアトリエが再現されています。落書きのようなメモが目の前の壁にたくさん貼ってある。座ってすぐに目のつくところに、思いついたイメージが溢れていかないように、雑だけど大事にキープされているように感じました。雑然としてるけど楽しさと愛が伝わる。

 

ほか、『ロスト・シング』のアニメを上映。原画や立体作品も展示。あらすじは、浜辺で迷子になっている変なロボのような生き物と主人公が仲良くなり、その迷子をどうしよう…という展開。この「迷子」が見た目怪しいんだけど動きが可愛らしい!アニメは絵本を元に作成されたのですが、絵本の世界観そのままに不思議な生き物や町並みが創られていて見入ってしまった。

 

『エリック』『遠い町から来た話』など他にも多くの作品が。原画だけでなく絵本そのものも読めるように置いてあります。原画で気になった『セミ』は思わず絵本を読んでしまった。サラリーマンのセミの物語。セミがスーツ着て働いてるんです。主人公のセミは立体作品として展示されていて、立ち姿が切なさ満載で「うあああ仕事頑張ってるのかお前は!」と励ましたくなりました。絵本も途中読んでて辛かった。結果良い方向に行きましたが(感想はたぶん人それぞれ)。

 

全体的にとても楽しかったです。わくわくした。絵本は大人になって読む機会が減りましたが、大人でも全然楽しめる。ここではないどこかに思いを馳せるワクワク感は、いくつになってもできるんだ。ということを思い出させてくれました。

と同時に、「こうだったらいいのに」とかの想像を楽しく膨らませて誰かに話す、ということを、大人ももっと遊びとしてやったらいいのに、と思いました。子供ってそういうことするじゃない。大人になったら、そういうのはクリエイターや作家のすることと思ってやらなくなっているのでは。イメージや想像でもっと遊ぼうよ。子供よりたくさん物事を知っている大人だからこそ、創り出せる世界はもっと広がっているはず。