おうちに帰るのはシチューを食べるから
時間があるからと言って幸せであるとは限らない。
とんでもないだるさで起き上がれない。
そんな思いを抱きながらギギギと体を起こして、wake up からのget up。
頭の中の8割が虚無に奪われたかのように何も考えられなくて、残りたったの2割じゃあ会話の中身も馬耳東風。
右から左へあれよあれよと言葉がすり抜けていって、「ああもう今日は駄目だわ」と頭の中の1割5分くらいで考えて、早々に家に帰る。
はやばやと家路についても、家でとてつもなくやりたいことなんて別にない。
ご飯を食べて、TVの面白そうなものがあれば見て、あとはPCをいじって終わり。
生き生きとしたハードワーカーの方がよほど充実しているだろう。
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子供のころ、見たいTVがあるから急いで家に帰ったことを思い出した。
おいしいお菓子がきょうだいに食べられないように急いで帰ったり。
晩御飯がとびきりのご馳走だから寄り道しないで帰ったり。
「どうしても急いで戻らなきゃいけないんだ」という意思があるとき、それはもはや「帰る」ではなく「向かう」だったんだろう。
その場から立ち去りたくて帰るというのは、惨めなものだなぁと感じた。
人は目的があるとき、常にどこかへ向かっているんだろう。
子供の単純さは素敵だ。向かうエネルギーしかなかった。
とりあえずどっかの方向へ向かないといけない。
それから向かわないと。
まぁ、下を向かないことでしょうか。