怒る権利は自分で創りあげるものなんだと
飲み会帰りの電車でちょっと本読んでたら最寄駅を過ぎていたときの悲しさよ。
そんなに本に没頭していたわけでもないし、乗り換えてから数駅のところだったからそんなことないと思っていたし、前の駅のドアが閉まるのも確認していたのにどうしてこうなった。
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人に指摘したり注意したり怒ったり、というのはなかなかにエネルギーを使います。やっぱり頭っから気持ち良いわけではないし、必要だけど腰が重い作業でもあり、うまくいかなければ悪い結果にもなりかねない。
とはいえ、一番しんどいというのは「注意してるお前はじゃあちゃんとやってんのかよ」問題が発生することですね、ええ。
たとえば「お前また遅刻したのか」と怒ったとする。
「お前もこの間遅れてきたじゃないか」と言い返してくる。
ぐぅ。
ってことですね。簡単に言うと。
そういうふうになるのが面倒だし自分の墓穴を掘りたくないからあまり人に注意しないで見て見ぬふりをする人もいます。でも立場的にそれができない人もいるわけで。そういう人たちはがんばって注意をして、注意するからには自分が「この人には注意されても仕方ないな」と思われるような存在になるように、行動を改めていくわけですね。
上に立つ人が、上に立つ人なりに変わっていく、成長していくのは、こういうところなんじゃないかなと思いました。
自分もなんだかんだものを教える立場になりがちになってきたので、頑張らないとなー
やりすぎると疲れちゃうのでほどほどに。
もう遅いので短めに。