ってかさぁ。

この接続詞の続きはたいてい役に立たない。

肯定的正論があるために

「正論」というのは道徳的(倫理的)に正しい、という意味のはずなのだけれど、「正論を振りかざす」とか「正論だけどしかし」とか、否定的な表現の中でしか使われないように思います。「そもそもそんなの無理やんけ」というものが「正論」として扱われている。でも「正論」は実現できたらもちろんいいはずで、厄介な現実を無視してでも実現できたらいいものなわけです。


「真面目」という言葉もあるけれど、「細かいことをちゃんとやる人」と「真面目な人」は違うのだと思った。私は前者。世の正論とされるものを、義務感や他人からの評価が気になるという理由で実行(しようと)するのではなく、「そうするのが当たり前であって自分がやりたいからそうする」ということができる人、それが「真面目な人」なんだと思いました。本当に真面目な人は、自分のことを「真面目」だとは言わないのだ。そう、行動のスタート地点・源泉が違うのです。


***


禅宗の開祖とされる達磨の言葉に、こういうことばがあって。

 

「直指人心 見性成仏」

(まっすぐに自分の心を見つめよ。仏になろうとするのではなく、

本来自分に備わっている仏性に目覚めよ)

 

はー、そういうことか、とさっき気づきました。
私の中に眠っている仏性よ、出てこい。


「俺らに言わせりゃおまえら出がらし!」

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