遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

継いで続けるってこういうことか

何を書いても嘘を書いているような気がして、何度も何度もBackSpaceキーを押している。

書いては消し、書いては消しを繰り返していると、どうしても伝えたいことなんて別にないのだ、と気づく。

 

NHKのプロフェッショナルを見た。

あの番組は「さまざまなプロ」を取り上げるからとても面白い。今日なんて日本一の八百屋さん。野菜の目利きのプロだそうだ。

前見たときやってたのは田舎のシェフ。その前は投資を行う専門家。来週はバスツアーの仕掛け人。

いろんなプロが世の中にはいるけれど、取り上げられる人はみんながみんなプラスアルファ、もっと先へを目指して突き進み続けていて、今の自分がとてもちっぽけに感じてしまう。

 

攻撃は最大の防御、チャレンジが肝心、プラスアルファの精神、攻め続ける意思、いろいろ言うけれど、今の自分は守ってばかりでびっくりする。

 

自分が突き進んでいたときはいつだったんだろうと、短い人生を思い返す。いろんなことを投げ出しながら逃げ出しながら生きてきたせいで、言い訳ばかりがうまくなっているような気がしてくる。言い訳と体裁繕いがうまくなってしまったせいで、自己評価と他己評価がどんどん乖離していく。

ちっぽけな人生だなぁと思う。

 

「継続は力なり」といろんな人が言っていて、破天荒な人ですら何かをやり続けた末に晩成していたりするから、結局はそうなんだろうと思う。

 

私が継続できているものは何かと考えると、ぽつぽつ途切れながら、場所を変えながら続けているブログ(日記)くらいなもんかなぁと思う。

こんなものでも何か自分に残しているのかしらん、と思うけれど、やっぱそれなりに文章を書くことに凝ろうとするちっさいプライドみたいなものはできている。そしてそれがちょいちょいまわりに評価されたりもする。

 

すごくささいなことだけれど、文章を書くということに、私の中で小さな継続が力を実らせているように感じた。

***

 

継続すると力がつくのはまぁ当たり前なのかもしれない。反復練習すれば何かしらはコツをつかむようになるものだ。

大事なのは、継続して力がついたと気づいたそのときに、次のステージで継続する気になるかということかもしれない。同じところでずっと同じことをしていても、伸びどまりは目に見えている。

 

そこがプロフェッショナルと凡人の違いなのだ。

ただ続けるだけじゃない。

上に登りながら、らせん階段を上るがごとく、継続するのがプロなのだ。

次のステージで、「自分はまだまだだ」と、継続で力がついたはずの自分をまだまだ下に見ることが、より大きな力を生むのだ。

 

今走っている2Dの輪っかを3Dの螺旋にできたら、そりゃあすごいもんよ。

簡単じゃないから、みんなやりたくないから、なかなかできない。

プロと凡人の差ってシンプル。

はてさてどうしたものか。