遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

『嫌われる勇気』って本は読んでいないけれど

この前はさんざんに暗い日記を書いたけれど、結局心にひっかかっていてずっと気になっていたことが少し「ほっ」とする状況になったとたんに気持ちが落ち着いて、いたって「ニュートラル」な状態になりました。

 

人間て単純だな。病は気から。

 

夜がだいぶ涼しくなってきた。けれどまだ汗だくです。

 

「意見を言う」ということは「悪口を言う」ことではない。これはおそらく友達同士ならまだマシだけれど、少し先輩後輩とか絡んでくるだけでできなくなる。日本人だなあ。

 

最近自分が先輩ポジションになることが多くなってきて、こういうときに自分が意見を言うのはもちろんだけど、自分に対して何かを指摘してもらうためにこっちが気を遣うことが必要になってくる、と感じています。多少面倒ではあるけれど、日本ではそうしないとうまくいきませんから、まぁこれも「ゆとり教育」の結果なんでしょうか。

 

シンクロ日本代表の井村監督の指導法がメディアでとても話題になっているけれど、中国に一時期コーチをしに行っていたでしょ。そのときの中国の子たちのライバル心はすごかったそうです。お互いがお互いに勝ってやろう、負かしてやろう、見せつけてやろうと。

physiqueonline.jp

 

日本人は「競い合う」「抜きんでる」ということにどんどん弱くなってきてしまったのかなぁと。それって結局気を遣っているようで、無関心で鈍感な人間になっていくだけではないですか。誰かを打ち負かしたり誰かに負かされたりすることで、わかる気持ちもあるでしょう。相手の努力に気づくこともあるでしょう。競い合わなかったら、「相手はきっとこうだろう」という思い込みだけで済んじゃうもんね。それって自分勝手じゃんね。

 

なんだか若い子に私の常識が通じなかったり会話が成り立たなかったりすることが出てきて、こんなにコミュニケーションできないもんなの?とビビッています。

同じ日本語なのにスムーズにおしゃべりできないなんて、つらいワ。

なまえのないかいぶつ

さっきテレビをつけたらMXで浦沢直樹の『MONSTER』のアニメがやっていて、ちょこっと見た。

 

前に「浦沢直樹展」に行ったときに『MONSTER』を知って、原画とか見ちゃったからオチもストーリーもそこで知っちゃったわけだけど、とても深い、20世紀少年のように練り込まれてた話なんだなぁとふんわり思ったわけです。全部ちゃんと読んだわけじゃないからあれですが。

 

その中に『なまえのないかいぶつ』という絵本が出てくるんだけど、そしてこれもぼわっとしか話の流れを知らないんだけど、とても悲しいような、こころに残るような話で。

 

何を書きたいんだかわからなくなってきましたが、「自分」という存在を保つために様々な名前や肩書を得ようとたくさんのひとを襲ってしまう「かいぶつ」が絵本に出てくるんですが、人間てみんなそんなもんかなという気がしている。

 

最近自分はよく眠れないとかご飯があまり食べれないとか中途半端な体調不良に陥っているけれど、それももしかしたら「健康」を対価とした自己承認欲求なのかもしれず、「自分」を保つための「かいぶつ」として一手段を取ってしまっているのかと思うと、自分の存在価値とかなんだろうとか、なんて矮小な存在なんだろうとか、みじめな気持ちになりつつも、この思考パターンそのものが同情を買うために私の本能が戦略的に実行しているのではないかとか、裏に裏を読んでしまっていて、もはや自分がなんだかわからなくなっているわけです。

 

この状態こそ、まさに「なまえのないかいぶつ」ではないか。

田舎魂

雨がすごかった。こんなにも降るかと。

 

ちょうど外に出てバスも過ぎて行って、そんなときにどしゃぶり。いや、どしゃぶりになる直前あたりに「バス乗るなら今だ!」と思って外に出て頑張って雨の中バス停に向かったら、スマホで見た時刻表とバス停にある時刻表が違う。ああ。いってしもうたんや。

 

というわけで、心細い折り畳み傘を抱えるようにして外出先から会社へ戻りました。

 

あまりにも雨の量がすごくて、傘の先から滴る雫が勢いで傘の守備範囲の中に入ってくるのね。傘の布部分で一回雨を防いでくれているのはわかるんだけど、結局傘の内側がめちゃめちゃ濡れてるのね。

 

会社に着いて気づいたら、背中までびしょ濡れ。ガードできたのは顔の正面くらいでした。なぜか髪もびしょびしょ。

 

椅子にも座れなかったものだから、人にハーパンとかポロシャツとか借りてバスケ部員みたいな恰好で仕事してました。ドライヤーで服を乾かし、靴に新聞紙を詰める…

でもすぐ着替えたので風邪はひかずにすみそうです。ポロシャツってあったかいんだな、いや乾いている服ってあったかいんだなとしみじみ感じた…

 

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今テレビつけてたら『カンブリア宮殿』やってて、石見銀山の古民家再生についてやっているんだけど、最近古民家ビジネスをしょっちゅう見る気がするんだが気のせいかしらん。

ああそうだ、つい一昨日の『ガイアの夜明け』でやってたんだった。

日経スペシャル ガイアの夜明け : テレビ東京

 

日本が大好きな外国人をご招待する番組もテレ東でやっているけど、そのときも古民家大好きな女子学生(どこの国か忘れた)が日本の古民家を巡る!的な感じだった。

 

「古民家」ってなんとなくおしゃれなくくりだよね。しょうじき儲かるかっていうとなかなか難しいものがあるし、古民家をリメイクでホテルに!とかあるっても、なかなか旅の玄人じゃないとお金かけてまでそこまで行かないよね。

地方創生ネタは最近特に課題でもあるからOAされるのかもしれないけれど、なんとなく景気がいいからちょっと贅沢な地方ネタ(?)切り口が増えているのかな。単純に夏休み≒旅行シーズンだからそういうネタが多いだけ?

 

古民家について最近立て続けに見たのでメモでした。

怒る権利は自分で創りあげるものなんだと

飲み会帰りの電車でちょっと本読んでたら最寄駅を過ぎていたときの悲しさよ。

そんなに本に没頭していたわけでもないし、乗り換えてから数駅のところだったからそんなことないと思っていたし、前の駅のドアが閉まるのも確認していたのにどうしてこうなった。

 

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人に指摘したり注意したり怒ったり、というのはなかなかにエネルギーを使います。やっぱり頭っから気持ち良いわけではないし、必要だけど腰が重い作業でもあり、うまくいかなければ悪い結果にもなりかねない。

 

とはいえ、一番しんどいというのは「注意してるお前はじゃあちゃんとやってんのかよ」問題が発生することですね、ええ。

 

たとえば「お前また遅刻したのか」と怒ったとする。

「お前もこの間遅れてきたじゃないか」と言い返してくる。

ぐぅ。

 

ってことですね。簡単に言うと。

 

そういうふうになるのが面倒だし自分の墓穴を掘りたくないからあまり人に注意しないで見て見ぬふりをする人もいます。でも立場的にそれができない人もいるわけで。そういう人たちはがんばって注意をして、注意するからには自分が「この人には注意されても仕方ないな」と思われるような存在になるように、行動を改めていくわけですね。

 

上に立つ人が、上に立つ人なりに変わっていく、成長していくのは、こういうところなんじゃないかなと思いました。

 

自分もなんだかんだものを教える立場になりがちになってきたので、頑張らないとなー

やりすぎると疲れちゃうのでほどほどに。

 

もう遅いので短めに。

まっぷっぷ

地理と歴史が好きなもので、ナショナルジオグラフィックが発売した『地図の物語』という本を買いました。

 

地図は今でこそ道案内の機能がほとんどかもしれませんが、昔の人は実用的に周囲をメモっていました。だんだん時代が進んでいくと、未開の地を探検した人が報告するように地図を作りました。そして列強が植民地争いをする頃には、地図を書くことで「ここは俺の植民地だ」とアピールすることになりました。

 

つまり、地図はとても主観的なものだったのでした。

 

自分と関わりのある部分だけ大きく引き伸ばされていたり、宗教的に大事なことだけを地図にしていたり、「メインに何を据えるか?」ということありきに存在していたわけです。

 

それがだんだん技術が発達していって、伊能忠敬が日本中を歩き回って地図を作ったかと思いきや、人工衛星googleの技術でとてもとてもリアルな、事実しかそこにない地図ができあがっているわけです。

 

google mapを見ながら、何か目的を持った地図を自分たちで描かねばならない?

 

そこまでは言わないまでも、地図の多様性が失われていってしまったのかなぁと思いました。

 

 

私が「地理」という科目が好きだったのは、すべての事象がつながっていたから。

マントルから始まって大陸ができて、できた大陸の形や地球上の位置によって海流や貿易風が起こり、気候が分かれて、寄稿によって植生が変わり農作物も変わり、人びとの生活習慣も変わり、都市が生まれ、工業が栄え、ビジネスが移り変わっていくわけです。

地理はそれがわかるととても面白かった。ノルウェーって寒そうだけど、緯度の割に暖かいのよ。なぜかというと、暖かい海流が北へ向かって流れているから。そんなことがわかると、自分とかかわりのない国も面白くなってくるでしょう。

 

技術が発展すればするほど、自分の気持ちが露わになったモノや作品のようなものが、日常生活には出せなくなってくるのかしら。ほら、便利なフォーマットがどんどん増えちゃうから。メールもそうでしょ?地図もそんなもんなのかなとか思って。

 

なんか少しさみしい。

家庭訪問のときに親が先生に対して「学校から家までの地図」を手書きしていたのを思い出した。

 

わかってほしいことだけ書く地図っていうのも、あっていいよね。

 

参考までに、地図好きは空想地図のスペシャリストを知るべし。

imgcity.chirijin.com

Dialog in the Darkで暗闇体験をしよう

Facebookに一度書いた内容ではあるのですが、この体験はとても面白かったのでこっちにも書きます。

 

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さてみなさんは「Dialog in the Dark」というものをご存じだろうか。これは30年前くらいにドイツの哲学博士の発案によって始まった「暗闇のエンターテインメント」です。

 

www.dialoginthedark.com

 

なんのこっちゃ、という感じでしょうが、簡単。
真っ暗闇の中で移動したりモノを食べたり買い物したりします。


余計に「なんのこっちゃ」ですか?下記、HPより引用。

 

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参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、グループを組んで入り、暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドにより、中を探検し、様々なシーンを体験します。
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同じプログラムに参加した初めましての人と8人くらいのグループでスタート。その場でみんなの呼び名を確認して、白杖を持って暗闇の中へ。少しすれば目が慣れるかなーとか思っていたら、まったくもって何も見えない。本当に暗かった。びっくり。「ここの低いところになんかありますー!」「こっちに草生えてる」「ここ段差ある!」とかみんなで声を出して指示を出しながら、どんどん先に進む。


私が行ったときは「夏休みバージョン」ということで、「おじいちゃんちに遊びに行く」という設定でした(真っ暗だけどw)。途中で芝生に寝転がって花火を見たり(音だけだけど)おじいちゃんちに上り込んで和室を散策したり(真っ暗だけど)駄菓子を買ってラムネを飲んだりしました(真っ暗だけど)。何も見えないのに500円払っておつりもらうんやで!


暗闇のせいか、土の匂いや草いきれ、ふと触った壁の冷たさを強く感じたり、視覚以外の感覚が敏感になったように感じました。移動したら「この空間は空気が違う!」というのを感じるのよ!なんだか知らんけど!30分くらい経ったかなーと思ったら1時間とっくに過ぎてたのもびっくりした。時間の感覚わからなくなる。


クローズアップ現代で紹介されたり、有名企業の研修プログラムになっていたりする、実はちょっと有名な体験型プログラムです。非日常な感じ、おすすめ。


日本では神宮前に会場があって、5000円くらいで参加できます(要予約)。集団では参加できないです、行ってもいいけど参加するプログラムは分けてね、という感じ。自分は1人で参加したけど、そういう人もいっぱいいた。


今は夜でもどこでも明るいせいか、暗闇に恐怖を感じるけれど、だんだん慣れると怖くなくなりました。みんないるし「見えないと何もできないわけじゃないんだ」と思えたというか。「暗闇」というものに対する考え方が変わるかも。


むしろそれが「自然」なわけで、昔は普通だったわけで。

 

ぜひぜひ行ってみてください。

心の中が真っ暗のほうがよっぽど怖いね。

 

読まなくてもいいにっき

伊藤計劃の『虐殺器官』という本を読んでる、と人に話したのですが、

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA) | 伊藤 計劃 | 本 | Amazon.co.jp

「それいいよね!」という強烈な反応を示す人が多数います。多数、というか、反応をくれる人はだいたいが「あれすごいよね!」という熱量を持ってるというか。普段Facebookとかで「最近●●読んでるんだけど、、、」みたいな投稿したり友達に話したりするときと、なんだか反応が違うぞ、という感触です。

 

特にメンズから反応がすごいです。メタルギアソリッドのノベライズをリンク付でおすすめされたり笑

やっぱりSFは「現実とつながりかねない」系が面白いですね。すれすれな感じ。

 

そしてこの反応をする人は往々にして『シン・ゴジラ』もハマっている気がします(自分調べ

 

そのくくりで言うとオーウェルの『1984』も面白いよ、とおすすめされたので、今度読んでみようと思います。

 

でも宮部みゆきの本も読んでないの溜まってるし、新書とか雑誌とかも溜まってるし、読みたい欲がうまく消化できておりません。かといって家にいるときはPCいじったり動画見ちゃったりして、別に本の虫でもないので効率悪いのは自分でもわかるんですが。バランスわりー。

 

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実家に土日に帰っていて東京に戻ってきたのですが、実家はすごいっすね。疲労の膿のようなものが一気に出てきてとりあえず眠いのと頭痛いのがずっと続いてました笑

疲れもたまには出さないといけないから、たまにはこういうのも必要ですね。

 

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久保ミツロウ経由で能町みね子という人を知り、この人なんだかおもしろいぞ、と思ってTwitterをフォローしていたのですが。最近Instagramの方も見てみたらすごいシュールでして。自分がすごく好きなやつでした。

地方のさびれたお店の哀愁をシャッターに収めるこの感じ!

いわゆるインスタジェニックなんか知らんぞ!という自分の「好き」を発信する感じ!

www.instagram.com

 

とても好きです。

これが私のインスタジェニック、みたいな感じとても好きです。

 

自分もインスタちゃんと活動しようかなぁと思いました。情報収集用になんとなくアカウントだけ作ってはいるものの、ブログやらFacebookやらTwitterやらNewsPicksやらやっていたらそっちまで脳みそ割けないなとか思ってあんまりやってなかったのでした。

 

SNS増えすぎて何をどうしたらいいかわからんくなってきた。みんな使い分けしてるんですかね?若い人はむしろTwitterとかFacebookより前にInstagramから入ってるから、その前の二種類はほぼやらなくてインスタで全部済ましてる感あるだろうし、スマホSNSが普及し始めた頃の世代は全部を代わりばんこにいじり始めているので、微妙に使い分けしているように思います。でもそれもめんどくさいよねー

 

というこのごろでした。

そうするとはてなブログの位置づけも気になります。

 

このブログも何かテーマを決めて書いたほうがいいんだろうなという気もしているんだけど、自分は「まんべんなくいろいろ好きだけど命かけるほど好きなものは特にない」という器用貧乏な感じでして、それもどうしようかな、という感じです。

 

考えまとめる練習用にとりあえずブログ続けたいと思います。

うわ、つまんねーブログじゃん!どうしたもんか。