『嫌われる勇気』って本は読んでいないけれど
この前はさんざんに暗い日記を書いたけれど、結局心にひっかかっていてずっと気になっていたことが少し「ほっ」とする状況になったとたんに気持ちが落ち着いて、いたって「ニュートラル」な状態になりました。
人間て単純だな。病は気から。
夜がだいぶ涼しくなってきた。けれどまだ汗だくです。
「意見を言う」ということは「悪口を言う」ことではない。これはおそらく友達同士ならまだマシだけれど、少し先輩後輩とか絡んでくるだけでできなくなる。日本人だなあ。
最近自分が先輩ポジションになることが多くなってきて、こういうときに自分が意見を言うのはもちろんだけど、自分に対して何かを指摘してもらうためにこっちが気を遣うことが必要になってくる、と感じています。多少面倒ではあるけれど、日本ではそうしないとうまくいきませんから、まぁこれも「ゆとり教育」の結果なんでしょうか。
シンクロ日本代表の井村監督の指導法がメディアでとても話題になっているけれど、中国に一時期コーチをしに行っていたでしょ。そのときの中国の子たちのライバル心はすごかったそうです。お互いがお互いに勝ってやろう、負かしてやろう、見せつけてやろうと。
日本人は「競い合う」「抜きんでる」ということにどんどん弱くなってきてしまったのかなぁと。それって結局気を遣っているようで、無関心で鈍感な人間になっていくだけではないですか。誰かを打ち負かしたり誰かに負かされたりすることで、わかる気持ちもあるでしょう。相手の努力に気づくこともあるでしょう。競い合わなかったら、「相手はきっとこうだろう」という思い込みだけで済んじゃうもんね。それって自分勝手じゃんね。
なんだか若い子に私の常識が通じなかったり会話が成り立たなかったりすることが出てきて、こんなにコミュニケーションできないもんなの?とビビッています。
同じ日本語なのにスムーズにおしゃべりできないなんて、つらいワ。