変人めく[動カ変](偏人めく)
最近、自宅での過ごし方が若干変人めいてきている。
TVでWBSをつけっぱなしにして、PCでゲーム実況のYoutube動画をつけっぱなしにして、手元でパズルを解きつつ、たまにスマホでSNSチェックする、という状況にある日ふと気づいたのであった。
…え?…もう少しで私…「聖徳太子」…?
情報を浴びすぎている。アビリティ「聖徳太子」の会得も夢じゃない領域。というか音量小さ目でTVつけっぱなしでPCを開くということに慣れすぎてしまって、最近は『「ながら」の4乗』くらいがデフォルトになってきている。集中力ってなんのことを言うんだろうか。
そうまでして情報を浴びていたいの?というとなかなか即答しかねる。いろんなことがすぐにわかってしまう世の中だから、TVを見て気になったらスマホで検索、PCで見て気になったことをTwitterで検索、わからない漢字をスマホで変換、etc,etc,etc,,, 「情報を浴びていたい」というよりも、それが日常になってしまっているのです。
子供の頃はTVを見ながら「この人誰だっけ?」「あのドラマ出てたよね」「あーあれそうそうなんだっけ」「うー思い出せない」「あ、CM終わる」→終了。
これが普通だったんですよね。もう今ならすぐ検索しちゃう。
それなのに周りの人と話が合わないとか趣味嗜好が違うとかがあるんだから、人の興味関心は面白いなと思います。私が「ラスコー展に行きたいんだ」と言っても大概の反応が「ラスコーって何?」でしたからね、悲しいよ、あたしゃ。
特別展「世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」
ちょっと検索したらすぐに情報が手に入ってしまうので「いや違うこれじゃないんだよ私が知りたいのは」という探求心が必要なくなってきてる気もしてる。そうなるとメディアの言いなりのちゃらんぽらんな頭の若者しかいなくなってしまうから、ちゃんと自分の言葉でアウトプットすることがどんどん大事になってくる。そのためには情報を自分なりの知識にしないといけないんだと思います。
情報の過呼吸にならないように、アウトプットもせねばですな。
「久保みねヒャダこじらせナイト」でやってた「Chara選手権」が超絶面白かったので懐かしい一曲をば。
ここだよワンワン 2万年前でさぁ、旦那
上野でやっていた「ラスコー展」に行った。
特別展「世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」
2万年も昔にクロマニョン人が洞窟に残した壁画、ラスコー洞穴の壁画のレプリカと、一緒に発掘された遺物、などなどの展示でした。
フランスにあるラスコー洞穴は現在は保存のために閉鎖されていて、レプリカのラスコー2がすぐ近くに作られており、そこが公開されているとのこと。今回は1mm単位で再現した洞窟内部の凹凸感、色、そして壁画の美しさを体験できるのだ。
とはいえ、「ラスコー展に行きたいんだよね」と周囲の人に言ってみても「ラスコーって何?」と言われる率のあまりの高さに辟易しました。なんてこったい。人類初の壁画・芸術と言えるようなあのラスコーを知らんのかいな。世界史の資料集にいつもだいたい載ってるでしょうが。牛の造形の美しさとかを感じたことがないんかいな。
やっぱりみんなもっと歴史を知ったほうがいいですよまったくもう。
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そんなこんなで上野の国立科学博物館まで見に行きました。並ばずに入れるけど中はちょっと混んでるかな、という具合。
一番の見どころはやはりレプリカですね。洞窟内の凹凸感もそうですが、ときおりブラックライトの照明に変わって、「線刻」という輪郭線が浮かび上がるんですね。とてもきれいでした。
クロマニョン人は線刻と彩色の2つの技法を組み合わせて絵を描いたそうです。どちらも素晴らしい。重なる動物は遠近感がわかるように色合いを変えていたり。寿命も今よりはるかに短くて、洞窟の中なんて真っ暗なところにわざわざなんでこんなにたくさん絵を描いていたんだろうか。それだけでも面白いじゃあないですか。
それなのにあの牛の堂々とした姿、馬の群れの疾走感!ね!あと偶蹄類と奇蹄類をちゃんと描き分けてるらしいですよ。観察力すごい。どうしてそこまでして描いたのか。
謎の記号とかなぜ描いたのかとか、その辺はまだまだわからないことばかりだそうです。ラスコーが見つかったきっかけが、飼い犬が隙間に落っこちたのを助けに行った少年だった、というエピソードがまた、事実は小説よりも奇なり、という感じ。
今回の展示は、フランス政府公認のもと制作され世界巡回している展覧会「LASCAUX INTERNATIONAL EXHIBITION」にいくつか展示品が追加されたものでした。だから展示の構成もフランス製なのか、なんとなくいつもと違うぞ?という感じがしました。どことはうまく言えないんだけど。
フランスの哲学者や文化人類学者、芸術家などなどがラスコーについて語るインタビュー動画は切り口がそれぞれで面白かったね。もうちょっとゆっくり聞きたかったけど少し長かったので断念。こういう専門家のインタビューは日本の展示だとあまり見られないかもと思いました。日本でもやればいいのにね。学問のとらえ方の違いか。
いまいちふつうな投稿になってしまったが備忘録ということで。
優しいモスクワの騾馬
会社の人に誘われてバドミントンをやったらとても筋肉痛。とても楽しかったけれど。まさかのマメがつぶれたという笑 力みすぎが問題です。テニスの癖が出ちゃうなぁ。
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その後飲みに行っておいしい海鮮をみんなで食べて、さらにバーに連れて行ってもらった。「ここのモスコミュールが本格的でおいしいんだ!」と豪語するおじさんの言う通り、とてもとてもおいしいモスコミュールだった。
そもそも「モスコミュール」がなんだかわからないから、ほとんど頼んだことがなかった。カシスオレンジとかカルーアミルクとかテキーラサンライズとかなら、まだ「カシスが入ってるのか」とか思うんだけど。「モスコミュール」て何入ってるん?というね。
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モスコミュールはウォッカとジンジャーエールとライムでできているそうです。本格的なものは銅でできたマグカップで飲む。冷えた銅のマグカップで飲んだモスコミュールは、ジンジャーのほのかなパンチ力とライムの香りが絶妙のバランス。ああ、本当においしかった。今までほとんど飲んだことがないのにこんなの飲んじゃって、もう他のお店のモスコミュール飲めなくなっちゃうかも?ウォッカがこんなに優しく飲めるなんて。
「モスコミュール」は「モスクワのラバ」という意味だそうで、「ラバに蹴飛ばされたように」効いてくる、というのが由来だそうだ。でも昨日はそんなことなくて、きっとモスクワのほうではウォッカがもっとガンガンに効いているんだろう。昨日のラバは穏やかだった。
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初対面の人と会ったり友人と飲みに行ったりするたびに自分ばかりが話してしまって、あんまり相手の情報を聞き出せないことが多いなぁと反省する日々。もっとみんな自己アピールすればいいのに、と思うことが多いけれど、それもバランスの問題である。自分が楽しく喋るだけじゃなく、その場にいる人がその人自身のことを楽しそうに話せるような空気作りもしたいものです。
私のブログではないですが。
三々三拍子?
『ゲスの極み乙女』ゲームというのを思いついてしまったので忘れないうちに残しておく。と言っても、「ゲスの極み乙女」っぽい語感の言葉をどんどん考えるだけの至ってシンプルな言葉遊びです。
例えば、
バスの弱み 遅れ
ブスの悩み シャクレ
椅子のとなりトイレ
パスモ家に忘れ
ラスト5分 巻きで
ナスとキュウリ塩で
テスト嫌いやめて
えくぼ見たいここで
うーん、あんまりしっくり来ない。この中だと「ナスとキュウリ塩で」が一番好き。母音が全部揃わなくても要所要所が揃っていて言葉のリズムが合うとそれっぽくなる不思議。「ラスト5分 巻きで」とか全然違うのになんか、ぽい笑
母音がぴったり揃っていてちょっと甘酸っぱい感じの「えくぼ見たいここで」も捨てがたい。けど語感は遠いような。
ゲスの極み乙女→e u o i a i o o e
言葉遊びは制限付きでやったときに意味が通ると快感なのですが、なかなか難しいですね。回文とかも難しいよね。でも楽しい。
ランランラランランランララン
design_anatomyっていうURLがかっこいい
六本木でやっている「デザインの解剖展」に行ってきました。
13時くらいだったと思うけれど、いやぁ混んでました。チケット購入列できてたし、人が多くてあまりじっくりは見れず…
「解剖」がテーマなので、とても詳細な説明文。チョコレートの歴史から包装紙の成分までびっしり。時間が無い人用に「ここだけ見れば大丈夫!」という親切なメッセージもありました笑
時間が許せば全部じっくり見たかったけど、ちょっと人が多くて断念。子供もいっぱいいたり、普段アートとかはそんなに見なさそうな(と言ったら失礼か)大学生カップルみたいな感じの若い人もいっぱいいました。そのためいわゆる「美術館」よりもいい意味でざわざわ感。全体をさらーっと見た。
「きのこの山」のオブジェとかフォトスポットが若い人にわかりやすく刺さったね。あの写真の拡散だけでけっこうな集客になってるんじゃないでしょうか。
にしても「写ルンです」の解剖とか、リカちゃん人形の頭とか、観点が面白かった。よくよく見たことがなかったものを深く知ることができてよかったです。写ルンですの構造は、リサイクルされることを考えて分解・組み立てがしやすいようにY軸・Z軸で垂直な構造で云々、というのがとても合理的で感動。
そもそもの商品開発コンセプト、ロゴ、成分、包装のコンセプト、などなどどんどん内側へ迫っていく。順番に展示してある通りに見ていくと構造がわかるようになっていて、いい展示だなと思いました。ちょっと混雑してきて、順番どおりに見れなくて混乱してる人がちょこちょこいたのが残念。
「きのこの山」のロゴの「の」のサイズがちょっと違う!とかのこだわりが知れてよかった。明治ブルガリアヨーグルトのメロディの工夫とか。作った人もきっとうれしいだろうな。
とりあえずmeijiのPRにめちゃくちゃなっているw 「きのこの山」買って帰った人多いんじゃないかな笑 グリコのポッキーの日が迫っているのでいいタイミングで対抗要素できたかもね。
会場から出たらもっと行列ができていてびっくりしました…この前は上野の国立博物館に行ったけれど、明らかな年齢層の差にもびっくり笑
でも自分は上野の雰囲気のほうがアカデミックで好きかなー。なんとなく話題性が強い気がして、六本木は。
次はラスコー展に行きたいぞう。
諭吉が瞬間移動した
買い物をするときの金銭感覚が変わってきた。前よりも欲しいものを「すとん」と買うようになったというか。あんまり逡巡しなくなった。働くようになってある程度余裕が出てきたのもあるとは思うけれど、こんなふうに自分がなるなんて、ちょっと思っていなかったなぁ。
冬物のコートが欲しくなって買い物へ。思い切って買った。今までひとつの服にかけた金額で、一番高い買い物だった。「アプリのオリガミを使うと割引です」と言われて即DL。(そういうところはちゃっかりしている)
アプリにカードの情報を登録したら、Bluetoothをオンにするだけで決済が終わる。けっこうな金額使った気がしたけど、暗証番号もサインもなく「ぴろぴろりーん」みたいな音がしてお金が出て行った。領収書はメールで届く。
お金を使う行為がどんどんあっけなくなっていく。それに適応していく自分が怖い。
でもそういう「見えないお金」が世の中のスタンダードになっていくのかしら。結局お金って概念でしかないから、もともとの姿に戻っているのかもしれないね。
500円玉握りしめて『小学一年生』を買いに走ったあの頃はもう遥か彼方なのよ。
…と思って調べたら今って500円玉だけじゃ買えないの?
あの頃はいくらで買ってたっけな。
伊藤計劃の『ハーモニー』なんていうエッジの効いた近未来SF読んじゃってるから、見えないものについて余計考えちゃうぜ。
写真でひとことっていうか長文
先日「しみじみしすぎて雨が恋しい」と書いたら翌々日くらいに雨が降った。こんなこともあるのね。
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久々に何もない一日を過ごしたけれど、ここのところ休日に外出ばかりしていたから何かしないといけない気がして走りに行った。最近は無為に宇多田のアルバムをヘビロテしていて、今日も聴きながら走る(全くランニング向きじゃない選曲)。
少し寒いくらいの夕方に走っていたら夕焼けが綺麗。切り絵のように公園の木立が黒々としていて、放課後の帰り路とか高校時代のランニングとか思い出しては、地元はもっと寒かったよなーと思い出に耽る。
思わず写真を撮ったけれど、裸眼の風景よりも明らかに鮮明な写真をiPhone7が提供してきてなんだか複雑な気持ち。乱視がかった生の目では、今日の細い三日月は爪切りで切り落とした爪のカスがごしゃごしゃと混ざったようにガサガサしているのに、写真ではくっきり弧を描いていて、宵の明星まで写していらっしゃる。スマホを見てから空をみて、本当にあるなぁと金星を確認する。
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昨日は結局飲み仲間と深夜まで飲んでいて、相変わらずみんな頭がいいなぁとびっくりした。「俺たちは最後の時代の最初の世代なんだ」「お前はメンヘラ女のサービスエリアだ」うんぬんかんぬん。深夜一時に劇的に辛いハラペーニョを食べながら無駄に複雑な話がぐらぐらと展開されていって辛い辛い。わしゃあ凡人だ。おい、誰かあいつをプロデュースしてやってくれ。あー面白かった。
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スマホの液晶ディスプレイの中の風景が現実なのはわかるけれど、私が毎日認識している世界は乱視がかったごしゃごしゃした世界であって、結局そこは思い出補正のような、理想的な補正をしながら風景を見ているのね、と無駄に厭世的な気持ちになりながら走っていた。「リア充」ということばもあまり聞かなくなったけど、そうなると妄想だって「リア充」になってしまうのではないだろうか。
別に落ち込んでいるとか暗い気持ちとかそういうわけではなく、妙に虚無的な気持ちになることがあるじゃないのん。ガラケー全盛期に作ったブログにも同じようなうつろなことを書いていたことを思い出して、穴があったら入りたい気持ち。10年近く経っても同じことをしている。
でも虚無感の穴にこうした文字をコロコロと溜めていって穴をふさいで満足しているならそれはそれでいいんじゃないかと。
いたってご機嫌である。