時間割を作るか
早々に会社を出て、前に友達が美味しいと言っていた担々麺のお店に行った。カウンターの奥には女性の店員さんがいて厨房を仕切っている。接客はカウンターの外でおじさんがニコニコ対応。1人でも入りやすい。雰囲気がちょうどよくて居心地がよかった。
担々麺も胡麻風味で辛すぎなくて、とても美味しかった。まったり、というか。高菜ご飯もセットでついてきて最高だった。
今家でこれを書いているけれど、こんなに夜って時間があったのか、という気持ち。よくよく考えれば学生の頃はもっと早く家に帰っていたのに、その頃よりも遅く帰っても、その頃よりも夜が長く感じるのだ。
うーん、やることがないから?
なんかやろうかな。
読書以外にも何か探すか。
人に会うとか?勉強?運動?
社会人は時間がない、というけれど。時間のやりくりをサボっているだけだと、昔の自分に怒られております。
たましいはホームレス
家でPCを開くことがかなり減った。
スマホでほぼ済んでしまうのである。家のネットを無線で飛ばしてwifiにすればスマホの通信制限も気にならないので、動画も漫画もブログも見まくっている。WEBサイトのスマホ版が充実してきたのもあるかもしれない。
PCだと「シャットダウン」という行為が案外面倒くさくてついつい付けっ放しにしてしまい、だらだらと動画を見続けてしまう。けどスマホだとやめやすいのでそれもよい。ちょっと前までは「スマホで長文書けないわ…」と思っていたけど、今これもスマホで書いているし、結果「慣れ」だと気付いた。
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Twitter経由で流れ流れて見つけたnoteがわかりやすかったのでシェア。昨今の「ビジネスマンと教養」ブームもありますし、ご一読あれ。宗教や哲学がわかりやすく短くまとまってます。
「『愛と平和と正義。このうち一つでも素面で言ったなら、悪人と相場は決まっている』のです。」
https://note.mu/ichirikadomatsu/n/nbc8118371bd6
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年度末は出会いと別れの季節、気づけば周りの環境もどんどん変わっており。自分のショボさに落ち込んだりもしたけれど、そういうところで引っ張られて卑屈になりがち&無理しがちなので自分のペースを思い出します。ヒッヒッフー
無駄なのか?
この前も少し書いたけれど、3月はいろんなことが大きく動いて、ものを考えがちになる時期である。facebookのいいねを押しながら、自分の中の何かを千切って投げているような気がしてくる。別に相手が悪いのではなく、引き比べて見える自分がショボすぎてなんだか卑屈になっているにすぎない。
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先日「出世はコスパが悪い」という記事や、「ナレッジが属人化している」という記事をシェアした。そういうところに自分の義憤くさい性格が見えてくるけれど、行動を起こせていないからなんにもならないのである。正確には、行動を起こそうとしたものの、想像以上に阿呆らしくて面倒なことが多くて「コスパが悪いってこのことか」と思ってしまって、停滞するこの頃。
んー、なんだかネガティヴな記事になってしまってつまらない。
考えすぎてもイライラするだけで疲れるので、後で上書きするように関係ない投稿をしよう。
プロフェッショナルを見るたびになんとなし落ち込むのをそろそろ辞めたい
なんでだろうねー
今日のプロフェッショナルはオークションスペシャリストという職業を追った回でした。クリスティーズのオークションに出品されるお宝を探しては、プレゼンし、予想落札額をつけてオークションに出品する。数百億円が飛び交っていく様はすごかったです。オークションと聞いてHUNTER×HUNTERのサザビーを思い出すくらいの知識しかなかったのですがとても面白かった。最近博物館やら美術館やらちょこちょこ行くし。
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0327/index.html
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なぜかプロフェッショナルを見るとちょこちょこ落ち込む、でもしばらくするとまた見る、ということを繰り返しています。別に大物になりたいとか何かを極めたいとか、出演してる人のライバル業者だとかそんなことは一切ないのですが、なんだか毎日の自分を省みてしまってどうにも。
いかにのんべんだらりと毎日過ごしているかを思い出しちゃうからですね。学生の頃の方がハリがあったのは確かです。
肩肘張りすぎない、でも抜きすぎないの加減がわからんなー
強烈にやりたいことも熱中することも今無いんだけど、それが問題?とりあえずやってたら熱中してたみたいな方向がいいの?
大学生の頃くらいからずっとふにゃふにゃしてます。
んーつまらない投稿ですが、泣き言の排出先ということで許してけろ。
アダジェットでアレグレット
金曜土曜と飲んでカラオケ終電なくすを連続でやったので、金土日の境目があやふやなまま月曜日を迎えようとしています。喉がカッスカス。
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3月9日が流れたり、東大の合格発表が報じられたり、Youtubeには「プロポーズされたらゼクシィ!」と煽られ(広告流す相手間違っとるで)、瞳を閉じても瞼の裏に映るのは取材立ち合いの夢だったりして仕事にどれほど強くなったでしょうという3月でした。(違
転職するひとや育休から職場復帰するひと、結婚して引っ越すひと、ゆるゆる働くひと、いろんな人がいるなぁと思いながら、いつも話す人とも少し深い話をしたりして、3月はものの考え方に影響が出がち。な気がする。
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とはいえ最近考えたのは「お風呂場の鏡は本当に必要なのか?」という問題です。洗顔のときにはどうせ泡だらけで目なんか開けられないし洗ったあとにちょこっと見るだけ。歯磨きするときだって口開けたら泡がこぼれるから見ないでしょう。磨き終わってからです、見るのは。というかお風呂場の鏡は曇る。そのくせ朝の情報番組とかで「水に含まれるカルシウムやマグネシウムが固まったのが曇りの原因。研磨力の高いスポンジなどで拭くとすぐにきれいに!」なんて時間をかけて解説していますが。
そもそも私お風呂場の鏡そんなに見つめません。使いません。果たして本当にお風呂場に鏡がないとやってられない状況があるんだろうか。既存の環境に流されてやいまいか?
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容赦なく正しいことを言いがちらしいので、気を付けよう。でも「本気になんてならなくていい 普通でいいから」って言うわりに「目をそらさないで 私を胸で感じていて」っていうのは矛盾してない?
まぁ、声とテンポが懐かしくて好きなので、いいです。
あやふやな部分もあると融通きくからね。この土日みたいに。
ウルトラスーパーガチやべぇ
最近やたらと「プレミアム」という言葉を聞く。プレミアムフライデーもそうだけれど、特に食べ物がそうだ。お酒も高級志向、お菓子もオトナの味。深夜バスも高級バスが登場した。
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SWITCHの特集「ほぼ糸井重里」の号に、バルミューダの寺尾社長と糸井さんの対談がある。そこでバルミューダの炊飯器について語られているけれど、寺尾さんが「徹底的に米の雑味取りをして、絶対に余計な味がしないようにしました」「誰と食べるか、どこで食べるか、いつ食べるか、それだけなんですよ。」と言っていて、世のプレミアム志向と真逆だなーと。
どうやったらおいしくなるか?ではなく、おいしくするのはあくまで私たちだという発想。日常生活の「ちょっといい」生活という底上げをするには、他人の言うプレミアムに頼っていてはいけないのだと感じた次第です。それはツールでしかないのだ。
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こんなにみんな高級志向し続けてたら、そのうち
「本格・極(きわみ) 〜PREMIUM〜」
とかプレミアムのインフレ起きそう。スーパーサイヤ人が4までいってしまったがゆえに最終的に猿人みたいになるのを思い出した。ラーメン屋の元祖も日本中にあるんですからね。
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水曜日のカンパネラを最近よく聞く。
『一休さん』という曲の
とんち利かせて → とんちき騒ぎさ
の言葉遊びは痺れたわー
わたしってばドーナツ
「この川に橋をかけてください」と言われたとする。
私はそのとたんに動けなくなってしまう。
「この川にかける橋の設計図はこれです」と言われたとする。
私はものすごくうまく働くと思う。
はたしてこれがいいのか悪いのかはわからない。
得手不得手、向き不向き、なんて言葉があるけれど、日本はやはりジェネラリストが天下の世の中ですし。
昔から、夢や目標というものがない。遠くにあこがれることもない。この人と何かをすると面白いだろうなぁとか、この人はすごいなぁとか思うことはあっても、「この人のようになりたい」とは思わないのである。あくまで自分は「そこ」とは切り離されている。
かといって唯一無二の存在になりたいのか、というとそれも違う。目立ちすぎるのは苦手だし、リーダーというタイプでもない。世の中にインパクトを与えようと思ったこともない。
私はあくまで、周りの人に面白がられていたい、周りの人のためになりたい、というそれだけなのです。(と、気付いた)
だから身の回りの理不尽には憤るし、身の回りの悲しみは慰めたくなるし、身の回りの人を笑わせたいと思うのです。あくまで身の回り。
「身の回り」ではあるけれど、そこに「自分」は入っていないようにも感じる。
このような弱気な、遠慮がちな姿勢がいいのか、というと難しい。自分の可能性をすごく、すごく狭めてしまうことだろう。かといって、新しいことをしようとするとビビり体質がすごいから、他の作業がすべて非効率になる(し、ひどいときはネガティブになって動けなくなる)。
長所や得意を伸ばし続けるべきだろうか?でもそれで認められるには、よほどの結果を出さないといけないだろう。何か結果を出すということは、いったいどういうことなんだろう。人に認められるほどの何か、ということ?自分で納得しきった何か、ということ?
今まで他人からの評価で「自分」を保ち続けてしまってきた、その弊害にやられています。
出会いと別れの季節には、気持ちがぞびぞびします。