遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

大英自然史博物館展を通じてビジネスに思いを馳せる

バベルの塔」展の前に、大映自然史博物館展にも行っていました。

 

treasures2017.jp

自然史ということでウン千年、億年前の化石や研究ノートなどなど。南極大陸への探検で見つけてきたものや、探検隊が日本に寄ったときに見つけた海苔とかもあって面白かった。そもそも大英博物館から自然史博物館が分離してできたのは、剥製コレクターの富豪がとんでもない寄進をしたからだというのが驚きで。大富豪っているんだなぁ…

 

 

南米やインドネシアを探検したときの、本に挟んだ植物標本が現物で残っているとか、そのとき採集した昆虫とか、どうやってこんなにきれいに保存できるんだろうかと…またきちんと簡単に撮影できるカメラもなかったから、初めてみた鳥をデッサンして実物大で美しい絵に残すとか。そこには主観が入ってはいけないし、昔の「科学」というのは、人間の主観を外すのが難しかったんだろうなぁ。

 

 

「呪われたペンダント」も展示されていました。持ち主が不幸になるという伝説から、忌み嫌われてきたペンダント。美しくも怪しい輝きでした。

でも「自然史博物館」のくくりの中でなんでこれが入るのかな?という不思議も…

 

夜になると博物館の収蔵品が動きだす『ナイトミュージアム』という映画があります。

ナイト ミュージアム

 

その映画はとてもわくわくして楽しませるものだった。まさにそれを再現するような映像が流れていて。始祖鳥や昔の巨大なナマケモノの化石をもとに、この生き物はどう動いていたんだろう?というのをシミュレーションした映像。それを単なるCG映像として公開するのではなく、展示されている骨が動き出して、展示ガラスを突いて割って出てきたと思ったら肉体ができている!というね!演出がおしゃれ!それで大英博物館の中を飛び回ったりするわけですよ!素敵!わくわくが倍増。

 

日本では博物館や美術館というものが「お堅いところ」というイメージになっている気がするのだが、こういう展示方法だけでだいぶ変わっていくんじゃないだろうか。渋谷のbunkamuraミュージアムとかはポップに展示を演出しているイメージはあるし、最近は変わってきているんだろうけれど、まだまだな感じがするね。地方には厳しい話だろうし。

 

「教養」の必要性がますます訴えられている中で、こういう展示は必要だし、日本の企業ももっとこういう分野に貢献すべきだと感じる次第です。 

 

美術館や博物館の経営コンサルってどういう人がやっているんだろうか?

「バベルの塔」展で頭の中がバベる

バベルの塔」展に行ってきた。

バベルの塔ももちろんだけれど、16世紀ネーデルラントの絵や彫刻がたくさん来ていてとても素敵だった。

babel2017.jp

 

その中で木でできた聖人の像があったんだけど、日本の仏像に似たものを感じたんですね。そんなに大きなサイズではないのだけれど、木を削って作られたひと。服の皺や、指先の爪まで繊細に表現されていて、本を片手に見下ろす瞳はおだやかで。日本人が仏や僧を木で作っていたのとほとんど同じようなものを感じました。海外の像って石とかのイメージが強かったから、なんだかこんなところで類似性を感じられたのが驚き。

 

あとやはり宗教の知識が足らない…!これを機にもう少し勉強しようかな。聖母子の絵もほかの聖なる人々も赤と緑の服が多かったけど理由は何だろうとか、「この人の絵には必ず刀のモチーフが入っています」とかそういう決まりごととかわかった上で鑑賞したら絶対楽しいだろうに。聖カテリナも、聖クリストフォロスも知りませんでした。教養が必要だ。

 

ボスの絵のユニークさはすごかった。浮世絵の北斎漫画をほうふつとさせるというか。でも北斎漫画のほうがかわいらしい。ボスの絵はちょっとグロいというか怖い部分がけっこうある。人間の欲望とかをそういった化け物の姿で表現したというからだろうか。そういったものが西洋絵画の世界にも存在していたことを知らなかった。ほぼ日とヒグチユウコさんのおかげ。

 

東京都美術館からほぼ日のTOBICHIへ。ヒグチユウコ『BABEL』原画展がやっていたので。

www.1101.com

にしても思うのが、幼いころからブリューゲルやボスの絵に触れていたというのはどのような環境なんだろう…でもあれだけすごく繊細な絵を描くというのはそこの影響もあるのかな。ボスのあれだけぶっ飛んだ(?)世界が「ひとつめさん」や「ギュスターブくん」のおかげでかわいらしくまとまっていて、でも女の子の顔は無表情で。画集買ったのでじっくり見よう。

 

最近美術館や博物館に行ってもメモも何も残していなかったので取り急ぎ雑記。

時間割を作るか

早々に会社を出て、前に友達が美味しいと言っていた担々麺のお店に行った。カウンターの奥には女性の店員さんがいて厨房を仕切っている。接客はカウンターの外でおじさんがニコニコ対応。1人でも入りやすい。雰囲気がちょうどよくて居心地がよかった。

担々麺も胡麻風味で辛すぎなくて、とても美味しかった。まったり、というか。高菜ご飯もセットでついてきて最高だった。

今家でこれを書いているけれど、こんなに夜って時間があったのか、という気持ち。よくよく考えれば学生の頃はもっと早く家に帰っていたのに、その頃よりも遅く帰っても、その頃よりも夜が長く感じるのだ。

うーん、やることがないから?
なんかやろうかな。
読書以外にも何か探すか。
人に会うとか?勉強?運動?

社会人は時間がない、というけれど。時間のやりくりをサボっているだけだと、昔の自分に怒られております。

たましいはホームレス

家でPCを開くことがかなり減った。

 

スマホでほぼ済んでしまうのである。家のネットを無線で飛ばしてwifiにすればスマホ通信制限も気にならないので、動画も漫画もブログも見まくっている。WEBサイトのスマホ版が充実してきたのもあるかもしれない。

 

PCだと「シャットダウン」という行為が案外面倒くさくてついつい付けっ放しにしてしまい、だらだらと動画を見続けてしまう。けどスマホだとやめやすいのでそれもよい。ちょっと前までは「スマホで長文書けないわ…」と思っていたけど、今これもスマホで書いているし、結果「慣れ」だと気付いた。

 

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Twitter経由で流れ流れて見つけたnoteがわかりやすかったのでシェア。昨今の「ビジネスマンと教養」ブームもありますし、ご一読あれ。宗教や哲学がわかりやすく短くまとまってます。

 

「『愛と平和と正義。このうち一つでも素面で言ったなら、悪人と相場は決まっている』のです。」

 

https://note.mu/ichirikadomatsu/n/nbc8118371bd6

 

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年度末は出会いと別れの季節、気づけば周りの環境もどんどん変わっており。自分のショボさに落ち込んだりもしたけれど、そういうところで引っ張られて卑屈になりがち&無理しがちなので自分のペースを思い出します。ヒッヒッフー

https://m.youtube.com/watch?v=L1ZSqf2cm9c

無駄なのか?

この前も少し書いたけれど、3月はいろんなことが大きく動いて、ものを考えがちになる時期である。facebookのいいねを押しながら、自分の中の何かを千切って投げているような気がしてくる。別に相手が悪いのではなく、引き比べて見える自分がショボすぎてなんだか卑屈になっているにすぎない。

 

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先日「出世はコスパが悪い」という記事や、「ナレッジが属人化している」という記事をシェアした。そういうところに自分の義憤くさい性格が見えてくるけれど、行動を起こせていないからなんにもならないのである。正確には、行動を起こそうとしたものの、想像以上に阿呆らしくて面倒なことが多くて「コスパが悪いってこのことか」と思ってしまって、停滞するこの頃。

 

んー、なんだかネガティヴな記事になってしまってつまらない。

 

考えすぎてもイライラするだけで疲れるので、後で上書きするように関係ない投稿をしよう。

プロフェッショナルを見るたびになんとなし落ち込むのをそろそろ辞めたい

なんでだろうねー

 

今日のプロフェッショナルはオークションスペシャリストという職業を追った回でした。クリスティーズのオークションに出品されるお宝を探しては、プレゼンし、予想落札額をつけてオークションに出品する。数百億円が飛び交っていく様はすごかったです。オークションと聞いてHUNTER×HUNTERサザビーを思い出すくらいの知識しかなかったのですがとても面白かった。最近博物館やら美術館やらちょこちょこ行くし。

 

http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0327/index.html

 

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なぜかプロフェッショナルを見るとちょこちょこ落ち込む、でもしばらくするとまた見る、ということを繰り返しています。別に大物になりたいとか何かを極めたいとか、出演してる人のライバル業者だとかそんなことは一切ないのですが、なんだか毎日の自分を省みてしまってどうにも。

 

いかにのんべんだらりと毎日過ごしているかを思い出しちゃうからですね。学生の頃の方がハリがあったのは確かです。

 

肩肘張りすぎない、でも抜きすぎないの加減がわからんなー

 

強烈にやりたいことも熱中することも今無いんだけど、それが問題?とりあえずやってたら熱中してたみたいな方向がいいの?

 

大学生の頃くらいからずっとふにゃふにゃしてます。

 

んーつまらない投稿ですが、泣き言の排出先ということで許してけろ。

アダジェットでアレグレット

金曜土曜と飲んでカラオケ終電なくすを連続でやったので、金土日の境目があやふやなまま月曜日を迎えようとしています。喉がカッスカス。


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3月9日が流れたり、東大の合格発表が報じられたり、Youtubeには「プロポーズされたらゼクシィ!」と煽られ(広告流す相手間違っとるで)、瞳を閉じても瞼の裏に映るのは取材立ち合いの夢だったりして仕事にどれほど強くなったでしょうという3月でした。(違


転職するひとや育休から職場復帰するひと、結婚して引っ越すひと、ゆるゆる働くひと、いろんな人がいるなぁと思いながら、いつも話す人とも少し深い話をしたりして、3月はものの考え方に影響が出がち。な気がする。


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とはいえ最近考えたのは「お風呂場の鏡は本当に必要なのか?」という問題です。洗顔のときにはどうせ泡だらけで目なんか開けられないし洗ったあとにちょこっと見るだけ。歯磨きするときだって口開けたら泡がこぼれるから見ないでしょう。磨き終わってからです、見るのは。というかお風呂場の鏡は曇る。そのくせ朝の情報番組とかで「水に含まれるカルシウムやマグネシウムが固まったのが曇りの原因。研磨力の高いスポンジなどで拭くとすぐにきれいに!」なんて時間をかけて解説していますが。

そもそも私お風呂場の鏡そんなに見つめません。使いません。果たして本当にお風呂場に鏡がないとやってられない状況があるんだろうか。既存の環境に流されてやいまいか?


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容赦なく正しいことを言いがちらしいので、気を付けよう。でも「本気になんてならなくていい 普通でいいから」って言うわりに「目をそらさないで 私を胸で感じていて」っていうのは矛盾してない?

まぁ、声とテンポが懐かしくて好きなので、いいです。
あやふやな部分もあると融通きくからね。この土日みたいに。

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