遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

集中と夢中の違い

実はひっそりと、一昨日から「毎日更新しよう」と目論んでいた。

だが今日はもうこんな時間である。

 

落ち込みやすい性格なので、家にじっとしていると嫌なことが頭の中をぐるぐるしてくる。文章を書くのは好きなので、書き始めると集中できる。悶々としている時間を減らせるなら、「何かやる」という行動を少しでいいから始めよう、続けようと思ったのでした。

 

とはいえ、結局夜更かしになってはいけない。時間を決めないといけないかな。

 

「考え事を追い出すために何かをする」という発想自体が、そもそも健全なのか自信がない。元気な人やご機嫌な人は、「何かをしていたら夢中になっちゃった」というパターンが多いのではないか。一方で自分は、「集中するために何かをする」という逆の順序になっている。なんだか必死すぎない?笑

 

嫌な方向のイマジネーションはある意味豊かで、悪い意味での集中はしてしまいがちなのだが…。自然と何かに夢中になるという感覚、久しく味わっていない。

 

夢中と集中は違うかもしれない。

集中は、好きじゃないことでもある程度はできるものだと思う。そこそこ好きなドラマは続きが気になってずっと見ちゃうとか、youtubeをだらだら見続けてしまうとか、惰性で始まったことでもある意味持続した集中は可能だと思う。勉強とかもそうかしら。

 

夢中は、夢の中。好きなことで頭がいっぱい。時を忘れる感覚。

weblio辞書によると、以下の通り。

① 夢の中。夢を見ている間。夢裡(むり)。 「 -に音を聞く」
② 一つの物事に心を奪われて我を忘れる・こと(さま)。 「無我-」 「テレビに-になる」 「火勢に追われて-で逃げる」 (夢中(むちゅう)の著者・刊行日 Weblio辞書) 

心を奪われること。一方で「集中」は「自分」を失っていないと思うんだよね。

夢中は「自分」を忘れてしまう。

 

眠くなってきた。今、私は「集中」している。夢中と集中の違いを「集中」して考えている、でもこの時間はさすがに疲れてきた。

 

集中は「やろう」としてできることだけど、夢中は「やろう」としてもできないこと?

だいぶしっくりしてきたぞ。

 

夢中になるにはどうしたらよいのだろう。集中を進化させるのだろうか。

好きなことで、集中すればよいのか。

でも集中しようとしないうちに心を奪われてしまうのが「夢中」でしょう。

求めてなるものではないのかしら。好きなことを探してそればっかりやる、ということが一番の近道なのかしら。

 

好きということだけ自覚して、目の前のことだけやっていけばいいのかしら。

 

段々見えてきたけど、五里霧中な気がしてやみません。

もう寝て、夢の中にいざなわれましょう。