遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

マイスター・ホラの名前の意味

ちょっと前の記事で『モモ』について書いたけれど、実家に帰ったついでに本を発見したのでさっそく持ち帰って読んでみた。↓前回記事

habitaso.hatenablog.com

 

家でちびちび読んでいたのだけれど、最後は眠くても先が気になって疾走感でワクワクしてがががーっと読んでしまった。児童小説舐めてはいかん。

時間に追われる大人だからこそ、辛い現実をまさに表してしまっている場面を早くモモに救ってほしくて、つい駆け足で読んでいたのかもしれない。

 

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児童小説のような子供向けの本は、章立てというか「区切り」がちょうどよいタイミングでできている。もちろん文庫本とかも区切りはあるけれど、大人向けの小説は筆者のタイミングというか、内容がきりがいいところで区切られてることがしばしばだと思う。

でも児童文学、子供向けの本は、区切りのペースがだいたい一定だ(たぶん)。ズッコケ三人組シリーズとかも小さいころよく読んだし、モモももちろんそうなのだけれど、子供が一生懸命読んでけっこう満喫できるくらいで区切れるようにしてあるんだろう。モモはそのペースが大人でも絶妙に感じた。

 

時間やペースを区切るというのはなかなか難しい。「今日はここまでやるぞ」と思ってもできないこともあれば、もうちょっとやりたいな、とはみ出ることもある。時間のペース配分は結局自分の意思次第なわけで、相手主体で区切ることはなかなか難しい。

 

児童文学の難しさは、自分のペースではなく読み手、しかも幼い読み手のペースを第一に考えてあげないといけない、というところにあるのだなぁとこの歳になって気づきました。

 

ズッコケ三人組シリーズとかまた読んでみるのも面白いかもしれないな。

小学校の頃読書にハマっておいてよかった。

 

モモを読むのをやめられなかった私は、「もうちょっとだけ、もうちょっとだし」とやった挙句に寝る時間からはみ出てしまったわけでして。多少の後悔と読後の満足感のバランスたるや。