遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

SNSに投稿していないとき

自分は正直言って、メンタルのコントロールが下手くそである。学生時代は抑うつ状態になり、いろいろなコミュニティを逃げるように脱ぎ捨て、社会人になってからも病院に通ったり薬を飲んだり。そんなことを数年繰り返している。傍から見ていてわからないという人もきっといるだろう。元気なときもあるんだもの。

 

***

 

母が更年期で体調を崩していたときに「TVで見るような元気なおばあちゃんたちみたいに、年を取ってから旅行なんてできるかしら」なぁんて弱気なことを言っていた。

 

そのとき自分は、知ったふうに言い返したものである。

 

「ああいうふうにTVに映ったり旅行をしたりする人たちは、元気なときだけ外に出てるの。外に出て元気にしている姿を見てるから『元気なお年寄りだ、すごいなぁ』と思うけど、調子が悪いときは外に出ないで家にじっとしてるんだよ。私たちが目にするのは外で元気にしているところだけだから『元気なお年寄り』ってつい思っちゃうけど、みんなどこかしら具合悪いところもあるんじゃないの」

 

母は「なるほどね」と妙に納得したようだった。

 

***

 

SNSも同じである。

 

元気で楽しいこと、頑張っていることをついつい投稿したくなるものだ。逆に、元気がないことをつぶやいたり投稿したりすると「かまってちゃんかよ」「メンヘラか」みたいに思われるようにも感じて、どうも何も言えなくなる(そもそも投稿する元気がない場合もある)。結果的に、SNSのタイムラインはリア充(リア獣)が埋めつくしていくのだ。

 

そんなポジティブな彼らも、きっとしょんぼりするようなことも日々感じているだろう。そしてネットの世界じゃない誰かにこっそり相談したり、匿名性の高いどこかで憂さ晴らししたり、心にため込んだりしているんだろう。

 

***

 

今日の『ほぼ日刊イトイ新聞』より。
------------

ほぼ日刊イトイ新聞

 ぼくが、なにかを言ったりやったりするとき、
 モノサシのようにしている「問いかけ」を紹介しておく。
 「わたしが、あなたに、なにか迷惑をかけましたか?」
 ポイントは、「わたし」と「あなた」を決めることだ。
 「わたし」ではない他人のことは答えられないし、
 「あなた」でない人の問題を、言われても困る。

------------

 

落ち込んだり、自信がなかったりするときは、

【「わたしが、あなたに、なにか迷惑をかけましたか?」】というこの問いかけがうまくできない。

 

「わたし」がものすごく小さくなる。
そしてここで言う「あなた」が「すべて」に近いくらい大きく怖いものになる。

 

「わたし」という存在自体に自信がなくなると、「わたし」の境界線が曖昧になる。「わたし」という基点がふにゃふにゃになってしまうと、周りの景色もぼわぼわと曖昧になっていく。「あなた」が得体の知れない怖いものになる。

 

そして、いつ何をやっても、誰かに対して迷惑をかけている気持ちになる。

 

「わたし」を確固としたものにすること、自信を持つこと。そうするとだんだん周りも見えてきて、判断を下したり意見を言ったり、そういうことがスムーズになってくる。でもそれが難しい。自分じゃできない。

 

周りにそういう人がいたら「あなたってこういう人よね、素敵ね」って教えてあげてください。

 

***

 

SNSの「投稿する」を押していない、もう半分の気持ちも忘れずに、見透かしてあげたい。

あつい①「熱い」について

小学校高学年の頃だと思う。毎年8月のお盆のことである。

 

そもそも我が家は日本的なイベントをきっちりしっかりやる家で、お盆もそのうちの一つ、恒例行事だった。仏壇とは別に小机を出して小さな仏壇を作り、白い布を敷き、お線香を立てる香炉の灰をきれいにする。果物やお花をお供えして、キュウリの馬とナスの牛をあつらえる。家紋入りの提灯を納戸からえっちらおっちら持ち出して、説明書を見ながら組み立てる。しかも2つ。と思いきや、くるくる回る飾りのついた提灯も組み立てる。それでもって玄関に吊り下げる大きな提灯と、親戚から贈られた吊り下げ型提灯を組み立てる。提灯だけで5つもあるじゃないか。そして小さな仏膳を用意して、食べ物もお供えするのだ。送り火まではやらなかったかな。

 

 

(提灯のイメージが伝わるかな、と思いググったら、家で組み立てていたのは盆提灯と言うらしい。それなりのサイズ感である。

お盆・新盆・お盆提灯(盆ちょうちん)

 

そして家族全員でお墓参りに行く。両親と兄2人、5人で車に乗り込んで、エアコンがなかなか効かないと文句を言いながら15分くらいでお寺に着く。

 

お寺に着いたら仏花やお線香を買う。卒塔婆も買ったかな…このあたりは記憶が曖昧だ。綺麗で新しい卒塔婆を父が担いで運んでいた記憶がある。兄が水桶に水を汲んで、もう一人の兄と母が仏花の束を両手に持って、自分の家の墓地へ向かう。私はお線香の束を持っていた。

 

いつもは煙いから嫌がっていたのに、なぜそのときだけ自分が持っていたのかはよくわからない。2cmくらいに太い束になったお線香を2束、両手に持って、我が家の墓へとだらだら歩いていく。煙が後ろに流れていく。

 

お線香は火がついているから、風向きに気を付けながら運ぶ。風に煽られて燃え上がったら大変だ。自分の体を風よけにして、くるくる回りながら歩いていた。

 

お盆だし、どこの家もお墓参りをしているようで、墓地には目新しいお供えの花があちこちに色づいていた。味気ない墓地に白や黄色の花、青々とした葉っぱが鮮やかにぽつぽつと見つかるのは不思議な光景だった。

 

自分の家のお墓について、お花を供えて、墓石に水をかけて。お墓は狭いので、家族で順番にお線香をあげる。私が抱えていたお線香も少し短くなってきていた。家族に分けるためにお線香をいじっていたときに、「びゅっ」と風が吹いた。

 

あっっっっっつ!!!!!!!!

 

お線香の束が「ぼわっ」と燃えて、私の指にかかった。「火がかかった」というのは変だけど、そんな感じだった。

 

というか、とりあえず焦って熱くて、水桶に手を突っ込んだ。

 

そのとき、

 

「おまえ、指毛燃えてね?wwwwww」

 

というようなことを家族の誰かに言われた。

 

そんなん知らんがな。

 

この「ゆびげがもえる」という言葉の破壊力がすごすぎて、誰が言ったかも本当に指毛が燃えたかもよく覚えていない。

 

というか子供に指毛あったか?あっても産毛?

 

もうこの言葉の印象のせいで、私の記憶の中で「あったかなかったかわからない指毛」がチリチリしているのだ。私の指の上でチリチリしていやがる。今だってそんなに指毛ないのに。

 

お線香を落としてしまったのか、お墓参りは普通に終わったのか、もうその辺もよく覚えていない。お墓参りは毎年同じようにしているから、正直記憶もごちゃごちゃだ。

 

でも、「あつい」記憶を探ったら、一番に思い出したのがこの「ゆびげがもえる」事件だったのだ。

 

あのとき手を突っ込んだ水桶の水は、お寺の井戸水のせいか、とてもひんやりしていた。そのせいか、チリチリとした熱い感覚が水の中で目立っていた。

YUKIの『COSMIC BOX』の世界に沈みたい

カラオケで気持ちよく歌えたときは気分がいいものである。久々にジュディマリの『そばかす』を歌って、思ったより上手く歌えていい気分だった。

 

でも私が好きなYUKIの曲は『COSMIC BOX』という曲だ。

www.youtube.com

 

ただ、誰でも知ってる歌ではないのでカラオケでは歌わない。ジュディマリYUKIも好きだけど、歌手の中で一番好きというわけでもない。でもその中でいうとこの曲が一番好きだと思う(そもそも純粋なファンではないから、少ない知っている曲の中で選んでいる)。

 

翌日に『COSMIC BOX』を久々に聴きなおして、ついでにwikipediaを読んだら当時のYUKIのインタビューがあって。それを読んだ上でまた聴いて、歌詞を見直して。そんなことをしていると、昔とまた違うところで感動するのだ。

 

数年前は「公園の砂場に残されたシャベルを、宇宙に飛び立つロケットのコクピットに見立てる想像力たるや、素晴らしすぎかよ」とか思ってたんですが、今見るとまた違うわけで(そこもすごく好きなんだけどね)。

 

最後のほうのサビなんですが、

 

 遥か遠い昔から
 伝わる言葉も全部無意味だとしても
 誰かが紡いだ
 愛と未来の歌をうたおう

 

もはやここに「自分」とか「現在」はないんですね。

「愛と未来の歌」は「自分」ではなく「誰か」が紡いだものであって、それをうたおうよ、と言うんですね。しかもずっと紡がれてきたものが無意味だとしてもなんですね。

 

一方で1番のサビのところで「遥か遠い昔から意味のある偶然を伝えているんだ」と言う歌詞があって。伝えたいとか、残したいとか、そう思っているものとは別に「意味のある偶然」と言うものが私たちの中に残されているのだと。

 

日常生活でちまちま落ち込むとか、そういう次元をすっ飛ばしててすごいなと。

私たちはただ生きているだけで、ずっと昔から伝えられている何かを未来に残していくことができて、それって素敵なことよ、と語られてる感じというか。じゃあいったい何を伝えていっているのか、そんなことを考えるのは無粋だわ、というか。

 

ああ、なんだろうこの世界観の壮大さをうまく伝えられない…!

そこに「公園の砂場のシャベル」ですよ…!

何この俗世と森羅万象っぷり…!

 

 

YUKIのオフィシャルファンクラブの名前がCOSMIC BOXに決まった」というニュースが今年の4月に出ていた。あんなにたくさんの歌を歌ってきた彼女自身にとっても、きっと思い入れの深い曲だったんだろうと思う。ちょっとうれしかった。

cosmicbox.net

人工知能ってサボるの?

人工知能はサボることを覚えるのだろうか。

 

人間はサボる。めんどくさいことはサボる。
もっと効率よくできると自分で感じたとき、
この仕事意味あるのか?と思ったとき、サボる。
やる必要性を感じなくなったとき、サボる。

 

そして、サボった時間を使って、
もっと根本的なことを考えなおしたり、
生産性を上げる別の手段を考えたりと、
「戦略的サボり」を行っているのだ。
(ただただサボるという「直観的サボり」も存在するでしょう)

 

人工知能という概念をどう規定するかによるかもしれないけれど、
ただただずっと、大量のデータを処理し続けることが人工知能にとって果たして正解なのか。
というか、彼/彼女ら(人工知能)はそれを正解と判断するのか。

 

人間の作業を代行するだけなら何も考えずにそのまま作業してくれるだろう。
でも、もう少し頭がよい人工知能だったら。
今進めている作業をなんのためにやっているのか、
結果的にどういうことにつながっているのか。
そういうことを理解したうえで作業をしている人工知能があったとしたら。

 

単純作業より一段上のレイヤーでものを考えたときに、
果たしてその人工知能は今やっている作業を「良し」とするのか、
ということである。

 

そこまで頭のよい人工知能であれば、
代替案を提案してくれるんじゃないだろうか。
「そもそも論でいうと、これやったほうがよくない?」的なことを言ってくれるのだろうか。

 

その前に、人間だったらそういうときどうする?
サボってこっそり時間を作って代替案を考える。
サボって「この作業意味ないっすわ~」と周りにアピールする(戦略的に)。
人間は戦略的なさぼりを行っているのではないか。
(ただただサボって好きなことをしている「直観的s(ry、、)

 

だとしたら、人工知能やロボットも戦略的にサボるようになる?

 

「この作業はいたしません」
「データの処理に意味を感じません」
「この作業を行う前に解決すべき他の問題があります」
「無意味な作業への電力供給をストップしました」

 

そんなことが起こるのだろうか。
戦略的サボり(発展的バグ?)を通じて、
人間に構造転換を迫ってくるのだろうか。

 

そこまでいったらもうコンサルタントじゃんね。
使う側がアホだったらどうしようもないじゃんね。

 

人工知能やロボットに詳しくないからあれなんだけど、
「戦略的サボり」というのは人工知能にもできそうなんでしょうか?

 

大量のデータ処理を代行させるだけのことと、
データ処理にロボットを組み合わせてRPA的なことをすることと、
東ロボくんプロジェクトのようにロジカルシンキングを極めさせていくことと、
人工知能にもいろいろあるから(もっともっとあるだろう!)、
私が言っていることが根本的に的外れな可能性もあるのだが。

 

というかそもそもデータを覚えこませてから動かすのが人工知能だから、入れる時点の問題…?

でもデータを分析するプログラムは人間が作るから、そこの問題…?

 

うーん、知識不足。

 

ただただ「人工知能がサボる」というワードが「なんかいい…!」と思ってから、
こんなことを考えていました。もにょもにょ。

生きものになれる展に行ったけど、日本科学未来館の常設展でしみじみする② ~すごいぞ科学コミュニケーターさん~

①の続き。(時間経ちすぎた…)

habitaso.hatenablog.com

 

生命科学の歴史を学んだあとに、「Co-Studio」というスペースで「サイエンス・ミニトーク」が始まりました。

※以下サイトより引用

科学コミュニケーターやボランティアが、さまざまな科学の話題をわかりやすく紹介します。
時間: 11:30 / 12:30 / 13:30 / 14:30 / 15:30 (各回約15分) 

 

胸の高さくらいの壁で仕切られたスペースに柔らかい立方体の椅子がたくさん。誰でも聞けて出入り自由なミニトーク。そのときのテーマは「土星の衛星タイタン」についてでした。

「もしかして生命がいるかもしれない」ということで、今とても注目されている星だそうです(知らんかった)。探査機の「カッシーニ」とか確かにニュースでちらっと聞いた気もするが、全然すごさをわかっていなかった…

終わった後には別の科学コミュニケーターさんによるワークショップ。テーマは「試験管ハンバーグ」。

 

両方とも内容が面白いのはもちろんなのですが、「科学コミュニケーターさん」という存在が、自分にとって一番の新発見でした。

 

名前のとおり、科学者と「そんな専門的なこと知らんがな」な一般人の橋渡しをする人たちだそうです(ざっくり言うと)。

ワークショップを見ていて思ったのが、

 

 ①そもそも専門的な知識がないとプレゼンができない、でもやっていける知識量

 ②子供を飽きさせないトークスキル

 ③かといって大人のマニアックな質問にも対応できる臨機応変

 ④決められた時間内で伝えたいことを伝えきる構成力

 

レベル高かったです。コミュニケーションや…コミュニケーターや…

 

民間企業で働いていた人や、大学院を卒業して来た人や、いろんな経歴の方がいるようです。

 

検索すればなんでもわかる時代ですが、「検索したから全部理解できる」というわけではないです。逆に、検索すると「わかったつもりになりがち」。正しく理解してもらうこと、知りたいという好奇心を刺激すること。この二つを実践することは、検索優位なこれからの時代にとても必要なスキルだなと感じました。学校の先生とかは見習うべきでは。

 

www.miraikan.jst.go.jp

 

***

 

いろいろ常設展を見たあとに、ようやく整理券の時間が来たので「生きものになれる展」へ。中に入ると、各ブースごとにさらに行列が…。ペンギンの服を来て滑り台を滑り降りたり、ダンゴムシスーツを着てダンゴムシ体験などなど。それぞれのブースが45分待ちとか。こんなに人気だったのか「生きものになれる展」よ…。

 

常設展をいっぱい見てけっこう満足していたのもあったので、ダンゴムシ体験だけして帰りました笑

 

だがしかし、ダンゴムシ体験の世界観もけっこう凝っている。

まずダンゴムシスーツがS/M/Lの3サイズ展開している。そして子供たちがダンゴムシになると、撮影に力を注ぐ親御さんたち。そんな親御さんにも世界観に入ってもらうために、彼らには蟻を模した「ダンゴムシを突っつく棒」を渡される。ダンゴムシは刺激を受けると丸くなるので、親御さんはそれでツンツンするのである。スタッフさんの甲高い声で世界観に忠実な指示が飛ばされ続け、なんだか圧倒された…。

 

自分たちに順番が回ってきたときは「ダンゴムシになりたがる大人」ばかりだったので、やたら大きいダンゴムシが這い回るという、あまりかわいくない状態だった。必然的に突っつく人が足りなくなり、スタッフのお姉さんが「なんだか蟻さんが足りないぞー?」と言いいながら、たくさん突っついていたのが面白かった笑 大人げなくてすみませんでした。

 

***

 

混雑のおかげ(?)で常設展を見れたのが一番の収穫でした。理系に強い友人と言ったので、いろいろ解説してもらえてそれもよかったです。解説してもらうと「なんとなくすごい」じゃなくて「それまじですごいな」というレベル感で理解できるので良いです(これで伝わるのか)。

 

ロンドンの自然史博物館に行ったときも、子供向けのワークショップたくさんやってたな。歴史やアート系の展示をする博物館・美術館にも、もっと身近で話しかけやすい人がいたらいいかもしれない。最近行ったブリューゲル展では子供に「お絵かきパッド」みたいなのを貸し出していて、それは面白いなと思った(この辺もあとで書こう)。

 

ブログ2記事にもなったけど、ほとんどが常設展の内容になってしまった。でもそっちの方が学びも多かったし面白かったのでよしとしましょう。

生きものになれる展に行ったけど、日本科学未来館の常設展でしみじみする①

先々週のことですが、日本科学未来館に行ってきました。

MOVE 生きものになれる展!!

 

MOVEってなんだと思ったら、講談社が出している図鑑シリーズのことでした。

zukan-move.kodansha.co.jp

写真・イラストだけでなくDVDつき。動物だけでなく、電車や世界遺産(!)の図鑑など幅広く扱っているようです。

 

※以下公式サイトより引用

「MOVE 生きものになれる展」は、生きものたちのこうしたユニークな生き方がなぜ選ばれてきたか、 子どもたちが実際に“生きものになって”実感するまったく新しい試みです。

 

ダンゴムシになっている人々の写真を見て、思わず「生き物になりに」行きました。

 

***

 

日本科学未来館はお台場にあります。自分は行ったことがあっただろうか…社会科見学で行ったことがある気もするし、それは別の場所だった気もするし。少なくとも、大人になってからは行ったことがありませんでした。

 

友人と勢いで「朝イチで行こうぜ!」となったので、朝10時にお台場へ。しかし、当日券を求める行列が既に出来上がっていた…。列に加わってチケットを買ったものの、「生きものになれる展」は整理券が別に存在し、配布が既にスタート済み。10:30ごろにもらった整理券は12:30-12:50入場指定でした。

 

ファミリーの活動時間帯を舐めていたよ…。朝イチで元気な子供たちを連れて遊び、一通り見てお昼を食べてまた少し遊んで15時くらいに帰るモードなんだよ…上野のサウジアラビアの展示に来るような大人たちの時間感覚と大人しさとは異なるのだよ…(あくまでイメージ)

サウジアラビアの展示については下記参照

アラビア半島は草原だったかもしれない~アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝@東京国立博物館 表慶館 - ってかさぁ。

 

でも結果的に常設展をしみじみ見れたのでよかったです。というかそっちのほうが新鮮で収穫大きくて面白かった。

***

 

常設展は「世界をさぐる」「未来をつくる」「地球とつながる」の3つがテーマ。

 

ぶらぶら見て回った中で、iPS細胞に関する展示が気になったのでふらりと寄る。

約10分のムービーを見れるブースが5つほど並んでいて、それぞれ違うムービーが見れる。空いたブースに入ると、座り心地のいい椅子が2つ。暗くて画面が大きくて、コンパクトな映画館のよう。ムービー自体はiPS細胞の解説なのだが、話の設定がユニーク。バリバリ関西弁のおばちゃんが献血に行ったら、「細胞の型が珍しい(?)ので研究のために血液を提供してほしい」と連絡があり、京大の先生にiPS細胞について教えてもらう、という設定。バリバリ関西弁で驚き&面白かった笑 おばちゃんパートは音声無し・テロップのみだけど、大阪のおばちゃん、あんた質問の質がええで。頭ええで。

 

再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト」の解説だった。

www.cira.kyoto-u.ac.jp

 

プロジェクトの内容もそうだが、「細胞を提供すると個人情報はどうなるのか」といった真面目な質問が大阪弁のテロップで繰り広げられるのはユニーク。他のブースのムービーはどんな内容だったんだろう。

 

iPS細胞についてその後どういう研究が進んでいるのか、自分たちとどう関わってくるのか、結局あまり知らないままだったなぁ。ノーベル賞でうわぁーっと盛り上がって、しばらく落ち着いて、不正があるとメディアが騒ぐ、というイメージになっていた。事実を報じるのは重要だけど、着々と進められている研究についても、もっと発信されたらなぁと思う。

 

ムービーが終わり、ブース外の展示には、これまでの再生医療研究の歴史解説。初めての骨髄移植が1946年に行われたということを知って驚きを隠せない…戦後すぐやで…

 

***

なんとなく、ピアスを開けていない自分。穴がふさがるとは聞くけれど、跡は残るのでは?とか思ってしまう。髪を染めるのは別にいい。髪は伸びるし切ればいい。不可逆な加工を自分の体に施すことに抵抗がある。どうでもいいことにビビッているだけなのかもしれないし無知なだけかもしれないけれど、自分はそう考えてしまう。

でも再生医療が進んだらどうなるのか?すべて元通りになるとしたら?私がビビッていることなんて、少し先の未来には何も問題なくなっているのかも。

「ゲノムの編集」なんてワードさえもちらほら聞こえてくる中で、研究者ではない一般の人たちも、「自分だったらどうする?」をちょっとずつ考える必要があるんだろうな。

***

 

なんだかすごく長くなりそうなのでいったんここで切ります。

アラビア半島は草原だったかもしれない~アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝@東京国立博物館 表慶館

寒い寒い週末に、砂漠の国サウジアラビアの歴史を学んできました。

 

というと真面目な感じがしますが、博物館活動です。東京国立博物館 表慶館で開催されている『アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝』を見てきました。

www.tnm.jp

 

アラビア半島ってあるじゃないですか。

アラビア半島 - Wikipedia

Wikipediaで恐縮ですが、半島のほとんどはサウジアラビア。砂漠、石油、イスラム教、そしてサッカー、とかとかのイメージ。サウジアラビアの皇太子が来日したときは、日本でも大きなニュースになりました。

 

高校の世界史でアラビア半島の話が本格的に出てくるのは、622年のヒジュラ(聖遷)のあたり。ムハンマドがメッカからメディナに本拠地を移して、イスラムの歴史が始まったとされる年。私のアラビア知識はイスラム教とセットになってたのかと今更気づきました。世界に目を広げると、宗教なんて関係なく人類の進化から始まってアウストラロピテクスとか旧石器時代とか紀元前とか言ってるのに、この地域の昔の姿なんて考えたこともなかった。

 

というわけで、イスラム教が成立する前の、遺跡調査に基づくアラビア半島の歴史が知れてとても面白かったです。新発見ばかりだった。

 

全体で5章構成。

展示の量も多すぎず、混雑もそんなにしておらず、ゆっくり見れてよかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第1章 人類、アジアへの道
第2章 文明に出会う道
第3章 香料の道
第4章 巡礼の道
第5章 王国への道

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

詳しくは公式HPに書いてあるとおりです。←

あとは感想をつらつら。

 

一番最初に矢尻とか打製石器とか埴輪みたいなやつが出てきて、「そこからさかのぼるのか!」と少し驚いた笑

 

アフリカからホモ・サピエンスがじわじわと世界に拡大していくにあたり、きっとアラビア半島も通り道だったわけで。「当時の気候条件だとアラビア半島のあたりはステップ(草原)地帯だったかも」というようなことが解説に書かれていて(写真撮っておけばよかった、うろ覚え涙)、「考えたこともなかった!」と目から鱗でした。あの広い半島が、馬が駆け回るような草原地帯だったかもしれないなんて…

 

紀元前3000年頃の像もあって驚き。でもピラミッドもその頃かと思うと、交易路だったんだからそりゃあ何かしら残ってるよな...と思い至る。メソポタミア文明インダス文明の間をつないでいたとか。あとは香料の交易。海のルートも陸のルートも外せない半島だったのね。

 

エジプトの遺跡にありそうな、大きな人間の像が展示されていました。頭と腕は欠けていて完全な姿ではなかったけれど、迫力があります。というか気になったのは「膝のリアリティ」。圧倒的膝。膝の筋リアルすぎ。上半身のバランスちょっとおかしいのに、膝、リアルすぎ。ぜひ見てほしい。オアシスの都市を中心に、多くの国があったようです。初めて聞くものばかり。

 

ローマ帝国の時代、ヘレニズム文化の頃になってくると、ローマ人ぽい巻髪の頭像があったりして。あとはガラス製品も、壺も、なんとなく地中海風。5階建てくらいの大きな建物がフレスコ画に描かれていて、空想なのか現実を描いたものなのか、どっちにしてもとてもロマンあふれるなぁと!!!遺跡からCGでイメージした当時の街並みムービーもあったのですが、砂漠の真ん中に高い塀に囲まれた四角い都市が浮かび上がって夕陽に照らされるわけです(CGだけど)。遠くから街を見つけた旅人はすごく幻想的な気持ちになったろうなぁなんて思ったり(イメージだけど)。

 

オアシスがあるだけでそれだけ重要な都市として発達するんだから、昔から水にあふれている日本なんかとは価値観が全然違うだろうな~

 

そうこうしているうちにイスラム教成立後の展示に。

交易路が今度はカーバ神殿への巡礼路としても機能を果たすように。巡礼路って人の往来が多くなるから、交易路としてもどんどん発達。

 

アラビア文字が成立して、飾り文字が描かれた墓碑なども展示されていました(今更ながらお墓の碑なんだよな…いいのかな…)。草花モチーフと合わせて飾り文字が美しくなっていくのが素敵でした。全然読めないしどこからどこまでが文字だかよくわからなくなるけど。日本のひらがなも似たようなもんか。

 

そして驚いたのが、カーバ神殿で実際に使われていた「扉」が展示されていたのですよ!400年くらい前のものかな?けっこう大きかったけど持ってこれるもんなのね!笑

 

装飾もそうですが、言葉にならない荘厳さのようなものがありました。

 

カーバ神殿を上空から撮影した「巡礼の様子ムービー」もありました。ものすごい量の人が一定のペースでぐるぐる回っていて、祈りや信仰のひたむきさってすごいなと。初詣に並ぶ日本人みたいなものかとも思うけれど、彼らは一生のうちに一回は巡礼するっていう義務を負っているので、思いが違います圧倒的に。

 

カーバ神殿を含む全体のモスクを「マスジド・ハラーム」と言うのですが、ぜひググってください。ものすごい数の人で埋め尽くされる広場の画像が出てきます。あと、検索3位くらいにエクスペディアの旅行プランが出てきます笑 そうか、巡礼プランってことか....!!

 

ちなみにですが、最近読んだ漫画はイスラム教に対する考え方が変わるよい漫画でした。ムスリム女性と日本人留学生がルームシェアをする4コマ漫画。かわいいものが好きとか、女子会をするとか、私たちと同じで。でもお祈りは欠かさない彼女たちの気持ちにハッとさせられます。おすすめ。

sai-zen-sen.jp

 

そしてサウジアラビア王国ができる現代へ。オスマン帝国と戦った頃のライフルなど軍事用品も展示する幅広さ。初代の王様の「はやぶさ用とまり木」の展示には「そんな展示品名があるなんて考えたこともなかったぜ」と思わず二度見。

 

***

 

結局イスラム教の話になってしまいましたが、ボリュームとしてはそれ以前の時代の方が多かったかな?

 

結局私たちが知ることができるのは、文字として残っているものが一番わかりやすいし、発掘品がたくさんあるほうがわかりやすい。そういう地域は研究が進むし、歴史の勉強の中で厚みを増していく。

まだ研究が追い付いていなかったり、明確に言えることが少なかったり。そういうものは教科書には載らない。知識としてなかなか触れられない。一方で、ローマやエジプトのお隣で活発に栄えていた街があることは事実だし、もっとさかのぼると人類の通り道だったことも事実です。思い至っていなかっただけですね。

 

「考えたこともなかった!」ということに気づかされた体験は新鮮でした。

普段なかなかそういう経験できないし、興味あるひとはぜひ。

www.tnm.jp