遠浅の好奇心

海・湖などで、岸から遠く沖の方まで水が浅いこと。そういう所。

TVバラエティと芸人の自己実現~テレビ千鳥~

暇だったのでTVerでバラエティを物色していたら、『テレビ千鳥』という番組が見逃し配信で無料公開されていた。

www.tv-asahi.co.jp

 

タイトル通り、お笑い芸人千鳥の冠番組。2019年4月からレギュラー放送になったばかり。番組の存在は知らなかったけど、TVerのバラエティカテゴリでサムネイルの大悟の顔が面白かったからつい見てしまった。サムネイルって大事だなぁ。

tver.jp

 

そして↑のリンクを探してたら、ついもう一回見てしまったw 家で一人で腹よじれるほど笑ったw

 

千鳥の大悟が人生初のジェットコースターに乗るのですが、なんと富士QのFUJIYAMAにチャレンジするという…。乗るまでのくだりも面白いのですが、FUJIYAMAでの大悟のリアクションが面白すぎて、何度見ても笑えるw ジェットコースターのリアクションはバラエティではけっこう定番ですが、今まで見た中で一番ユニークで笑えるリアクションだったww ただ叫ぶのとはワケが違うwww ぜひ↑のリンクから御覧ください。

…と思ったら今日4/25の23:59までだった!このブログを読んでいる頃には間に合わなさそうですね…。今日たまたま見れた自分はラッキーだったと思おう。

 

番組公式サイトに、レギュラー放送決定を千鳥に伝えたときの様子が動画で上がっています。それを見ると、芸人にとって「自分の冠番組があって、さらにそれがレギュラー放送になる」というのは本当にうれしいことなんだなぁと思いました。TV界で自分の城を持ったようなことだものね。

 

にしても最近千鳥のノブは大人気ですね。ゴチになりますのレギュラーになり、朝ドラには先生役で出演し、なんと「クセがスゴい」が朝ドラのセリフとして登場、そのあと華丸さんの代役で『あさイチ』に出演して朝ドラ受けまでしっかりこなす…すっかりお茶の間に浸透ですね。NHKの『ファミリーヒストリー』にも出てた。びっくり。

www.crank-in.net

 

ノブのツッコミは確かに秀逸で、例えツッコミもたまらなく面白い。最近周辺の人がこれも千鳥の番組の『相席食堂』にハマっていて、最近の回がこれまたTVerで公開されていたのでつい見ちゃいました。関西弁ともちょっと違う岡山弁で、印象に残りやすいのも人気の秘訣かなぁ。

tver.jp

www.asahi.co.jp

 

バラエティは昔ほど見なくなりました。Youtubeでお笑いの動画を見たり、今日みたいにたまたま気が向いてTVerで何か見るくらい。子供のころは、毎週どの曜日の何時から何がやるかチェックしてて、見たら学校で「昨日○○見た!?」って話をしていたのに。みんな自分の好きなものを好きなタイミングで見る時代ですね。

芸人さんもYoutuberをやったりTVと関係ないところで活躍したりと、ある意味働き方改革が進んでいるように感じます。「何をもって成功とするか」がTV以外にもあるんだ、という考えが広まってきたというか。キングコング西野しかり。

 

華やかに見える芸能界でもTV一辺倒ではなくなってきて、価値観が揺らいでいます。一般ピーポーな私も、何をもって成功とするか、自己実現は何なのか改めて考えないといけないなと思いましたとさ。

とりあえず夜ちゃんと寝る、朝ちゃんと起きる、ごはんを食べる、湯船につかる、そういう基本的なことからしっかりやっていきたいです。それだけでも偉いと自分を褒めてあげて、そうしたら「もう少しこういうふうにしたいな」という気持ちが沸いてくるでしょうし。こう書くことで自分を励ましています。今日も一日頑張りました。

 

あと、ブログを習慣として書き始めてからやっぱり体調がいい気がします。ブログを書くということが、生活リズムを整えることに貢献してるかも?

あとたまに面白いコンテンツを楽しんでゲラゲラ笑うようにします。

泳ぐのも跳ぶのも派手なのも命がけ~葛西臨海水族園~

葛西臨海水族園に行きました。

www.tokyo-zoo.net

 

水族館なんて何年ぶりに行っただろうか。HP見て知ったけど、水族館じゃなくて水族「園」なんだね。違いはなんだろう。あと今年でオープンして30周年だそうです。もっと昔からあるような気がしてた。上野みたいに。

 

中はファミリーでいっぱいでした。子供たちが水槽にはりついて、魚を食い入るよううに見つめていました。自分も負けじと水槽の最前列に行ったら、子供にソフトに足を踏まれました笑 しかも3回ほど。

 

展示会あるあるですが、展示の最初の方はみんな真剣に見るので混むんですよね。水族館も同じで、最初の方の水槽は人が多くてぎゅうぎゅうでした。よく見えなかったので、無理に並ばずにささーっと流し見で済ませました。

 

最初のエリアを過ぎると、「アクアシアター」という大きなドーナツ型の水槽があります。ここには大きなマグロが大量に泳いでいます。止まったら死んでしまう、と言われるマグロ。このドーナツ型の水槽を延々とぐるぐる回っている…。迫力はすごいけど、そんな彼らの人生(魚生?)を思うと少し切ない気持ちにもなりました。

お刺身には馴染みがありますが、魚の形でマグロをじっくり見たことはなく。背中が黒くて腹側が銀色だそうです。上から見たときには深海の暗さに紛れるように黒く、下から見たときには水面の輝きに紛れるように銀色に。はぁ、よくできてるねー。生き物ってすごいね。

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アクアシアターは「シアター」の名の通り、観覧席のような座れるスペースがあります。そこに座ってぼーっとマグロたちを眺めたり、解説パネルでマグロについて学んだりできます。自分が行ったときはちょうど1日に1回の餌やりタイムが始まって、餌の投入に合わせてダイナミックに舞うマグロたちを見ることができました。水面に向かってぐわぁあーっと上がっていく姿に、マグロのパワーを感じた。

 

その後は「世界の海」というコーナーで、熱帯魚などカラフルな魚、とてつもなく大きなエビなど珍しい魚をたくさん見ました。パステルカラーがきれいな魚がいたんだけど、名前なんだっけ。あまり解説パネルを読まずに魚を見て楽しんでいたので、振り返るとあまり知識は身についていません。まぁ勉強しに行ったわけじゃないからいいんだけどね。

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カメラを持った一人客もいました。魚を撮るために来ました!という感じのおじさんもちらほらいて、魚は撮り甲斐があるのかと納得。カメラ女子も見かけた。そういうスポットでもあるのか、水族館は。色鮮やかな魚の水槽では、特にカメラを持つ手に熱が入っていた様子。

 

「東京の海」というコーナーの一角に干潟を再現した水槽がありまして。そこにカエルとオタマジャクシの中間みたいなフォルムでぴょこぴょこくねくね跳びはねてる生き物がいました。苦手な人は苦手なタイプの生き物。でもついつい目がいってしまう。あの身体のひねりとジャンプ力はすごかったな…魚なのか爬虫類なのかよくわからなかったな…

 

外にはペンギンコーナー。たくさんのペンギンがのびのびとプールを泳いでいました。こんなに近くでペンギンを見たのはいつぶりだろうか。やっぱりかわいいね、ペンギン。

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お土産コーナーでは、ぬいぐるみのセンスがよくて危うく買いそうになりました。マグロのぬいぐるみはなかなかのクオリティ。かわいらしくて触り心地のよいタコやカメのぬいぐるみもありながら、めちゃくちゃ手の込んだダイオウグソクムシ先輩のぬいぐるみもあるという幅の広さ。あの足の量をきっちり再現。すごい。小さな子供の兄妹が、どのぬいぐるみを買うかで親にアピール合戦していたのもほほえましかったです。2人で欲しいぬいぐるみが違ったみたい。「こっちの方がかわいい!」「あたしはこっちがほしい!」ってね。ぬいぐるみ以外に、ガチなフィギュアの数々、サメの歯などマニアックなグッズもしっかりありました。カレールーが売ってたのは謎でした。まぁいいんだけど。

 

ざっくり感想を書きましたが、やっぱり生き物は面白いね。美術館や博物館で止まっているものをじっくり見るのもいいけれど、動いている生き物を見るのはまた違っていいですね。環境に適応して独特な体つきをしていたり、不思議な柄がついていたり、そしてそれが動いているっていうのが、見てて飽きない。知識もいらない。見てそのまま楽しめるなぁと改めて思いました。動物園も今度行こうかなぁ。

 

「映える」という理由ではなく、生き物をのんびり観察しに水族館に行く、というのもまたしたいなと思いました。

おだやか、にこやか、さわやか~ほぼ日「生活のたのしみ展」@丸の内~

ほぼ日の「生活のたのしみ展」に行きました。

seikatsunotanoshimi.1101.com

 

HPにもあるように「街のフェス」のようなものです。服、雑貨、食べ物、いろんなお店が5日間限定で集まって、お買い物を楽しむことができます。お店それぞれが、本当にこだわって本当に好きで、お客様に届けたいと心から思いを込めている、そんなものばかりが並んでいます。

 

日曜日に最終日滑り込みで行ってきました。会場は丸の内。東京駅に用事があり、ちょうど近くだし行ってみようかなと。その日は午後に予定があったので、お昼食べるだけしようかな、という気分で行きました。

丸の内はオフィス街のイメージで、あまり買い物に行ったことがありません。東京駅の前も、丸ビルも、周辺の道路も、こんなにきれいに整備されていたんだね。ゆっくり歩いて実感しました。銀座とかよりゴミゴミしてなくていいかも。

お天気にも恵まれて、街路樹の緑の下でいい気分。木陰を通りゆく風が心地よいです。そして狙っていた「マルディグラのハラミバーガー」を食べました。ほぼ日は普段から愛読しているので、何が出店しているか事前に調べていたのです。

みなまで言うまい、こちらをご覧あれ。

seikatsunotanoshimi.1101.com

ね、おいしそうでしょ。銀座のフレンチビストロのお肉がハンバーガーで楽しめちゃう。これを逃すわけにはいくまいて。

そして並んだところ、45分待ち。予想以上だったけど、お昼食べるだけだしまぁいっか、と並ぶことに。でも思ったより時間を感じませんでした。キッチンカーの中でシェフが丁寧に丁寧にお肉を焼いているのが見れる。プロの技だなぁとほれぼれしました。おいしそうな匂いが漂ってくる。並んでいる人もマナーがよくて、うるさい人も文句を言う人もいない。お買い物を楽しみながらニコニコ並んでいる人ばかり。店員さんも立ちっぱなしで大変だろうに、笑顔で接客してくれました。何より手際がいい。混雑をどうしたら解消できるか、効率よく対応できるか、一生懸命考えてくれたんだなぁと感じ入りました。そんな雰囲気を楽しんでいたら、45分は案外あっというまでした。

そして出てきたハラミバーガー。ハンバーグじゃないんです、肉の塊がごろごろと挟まっている!ガブリとかぶりつく!うまい!!そして肉がレアで柔らかい!トマトソースもあいまって美味!最高!ソースは味が濃くなくてあっさりしていて、素材のおいしさが感じられてこれまたうまいんです。口のまわりにソースをつけながらがぶがぶとあっという間に食べてしまいました。添えられているピクルスもおいしい。くぅうう。

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外の座れるスペースで、人の目も気にせずに食べることに集中。1850円とハンバーガーにしてはお高めでしたが、その価値はあったなぁと思います。この機会しか食べられないというのも込みで。

 

買い物を楽しむ人、「このイベントは何だろう?」と近づいてくる人、関係なく東京を観光している海外の人、ファミリーで気合を入れて「生活のたのしみ展」に来た人、いろんな人が入り混じってよい空気を醸し出していました。昼の丸の内はこんな顔もできるのね。

名残惜しくもハンバーガーだけ食べて次の予定へ。

 

そして午後の予定が終わってから時間があったので、夕方にもう一回行きました。笑

今度は丸ビルで出店していたお店をぶらぶらウィンドウショッピング。段ボールでできたお財布や、ほぼ日のグッズ、服、キーリングなど魅力的なものがいっぱい。PROOF OF GUILDで売っていた動物モチーフのキーリングは正直買うか悩みましたが、また今度機会があれば迎えることにします。今使っているキーリングも気に入っているもので…

seikatsunotanoshimi.1101.com

 

歩き疲れたので外でトマトジュースを買って飲みました。「おらがトマト」というほぼ日限定のトマトジュース。1杯700円とちょっとリッチなお値段ですが、せっかくなので試してみることに。うーん、飲んだことのないおいしさ。トマトの青臭さや酸っぱさが全然ない。甘い。酸味はどこへ?自分は子供のころトマトの酸味が苦手だったので、トマトジュースもそんなに良い印象はなかったのですが、「こんなのもあるのか!」と舌を巻くおいしさでした。(でもちょっと高いな…w 贈り物にはいいかも。)

 

キッチンカーがまだ営業していたので、「味坊」というお店の羊肉餃子を買って帰りました。羊肉の餃子は初体験。晩御飯のおかずにしました。帰りの電車で餃子の匂いを漂わせてしまったので、ビニール袋の口をずっと手で締めて持って帰りました。w これまたおいしかった~

 

ほぼ日では「テキスト中継」というものをやっています。ほぼ日の社員(乗組員)の方がイベントの様子をツイッター更新のように写真とテキストでどんどんHPにアップしていくのです。それを見て「カレーの恩返しカレー」というレトルトカレーがおいしくてめちゃくちゃ売れているらしい!という情報をゲット。せっかくなので1つ買って帰りました。こちらはまだ食べていないので、食べるのが楽しみです。

 

長々レポートしましたが、街を舞台にしたお買い物イベントでこんなに洗練されているものはなかなかないなぁと思います。そんなにイベントに詳しいわけではないけど。HPでの事前告知から、当日のお客様対応、また来られない人のためのWEB販売、いろんなものが優しさにあふれているなぁと。HPも案内板も、全体のデザインもおしゃれで見やすい。お店側の人も、遊びに来ている人も、みんな楽しそう。イベントってバタつくことやもめることもあるものだけど、そういう気配は一切感じず。にこやかで穏やかな時間に包まれていました。

全部の会場は回らなかったし、ちょっとの時間しか過ごさなかったけど、WEBで見ていた時間も含めて「生活のたのしみ展」はとてもよいものでした。思いの伝わるイベントって、あるものなんだなぁ。今の時代にはこういう「はたらく気持ち」が大切なのかもしれないね。

 

テキスト中継、5日分全部読みました。けっこうな量を読んで、イベントを5日間完走した気分。実際に行ったのは1日だけなのにね。

まつ毛を切り落とす?つけまつける?

まつ毛を切り落としたらどうなるんだろう。

 

文具立てに入っているハサミを見てふと考えてしまった。このハサミで、鏡を見ながら、アーチ状にまつ毛をさくり、さくりと切り落とす。短い毛がつんつんしている状態になるんだろうか。マスカラもつけられないだろうな。手で触ったらサボテンの針みたいに強そう。けばけばしそう。

あと、めっちゃ目にゴミが入りそうだ。「まつ毛は目を守るためにある」という話だが、まつ毛が生えていることが当たり前すぎて、普段目を守られている実感がない。「まつ毛がない」状態を体験したことがないので、比較しようがない。まつ毛のありがたみってどれくらいのものなんだろう。

 

まつ毛は赤ちゃんにだって生えている。そう考えると、まつ毛が短い状態を私たちは見たことがあるだろうか。赤ちゃんにも、気づけばふさふさのまつ毛が生えているのだ。まつ毛は伸びていくものではなく、変わらずずっとそこにあるものなのだ。

 

仮にまつ毛を切り落としたとして、どのくらいの期間で元に戻るんだろうか。まつ毛が伸びている、増えている感覚が普段ないので、復活するかどうかもよくわからない。かといって、今私の目にくっついているまつ毛が生まれてこのかた一度も生え変わっていないことはあり得ない(はずだ)から、毎日少しずつ抜けたり生えたり伸びたりしているんだろう。腕や足に生えるムダ毛はやたらと成長を感じるのに、この差はなんなんだ。

 

まつ毛つながりで、きゃりーぱみゅぱみゅの『つけまつける』のPVを見た。

www.youtube.com

 

久々に見た。両脇にいるライオンの着ぐるみダンサーを見て思ったけど、そういえば動物のまつ毛はものすごくボリューミー。象やラクダの画像を検索してみてください。フッサフサです。眼球守ってる感がすごい。

 

歌の中に「つけるタイプの魔法だよ」とありますが、私は「つけま」を付けたことがありません。魔法をかけたことがない。別に嫌なわけじゃないですが、めんどくさそうなのでそもそも付けようと思ったことがありません。逆にもう手放せないくらい愛用している人もたくさんいるんだろうな。「自信を身につけて 見える世界も変わるかな」。「つけま」をつけて自信がついて毎日が輝くならそれはとてもいいことだから、使い続けるのも良いと思います。自信を身につける手段としてよい武器を見つけたということさ。

自分はメイクに凝るよりも服を買いたいと思っちゃう人なので、自信を身につける武装は服に頼っています。まつ毛メイクはマスカラ頼り。D-UPのマスカラは使いやすくてお手頃価格なのでよく使っています。

d-up.co.jp

以前に貰い物のよくわからないマスカラを使って、トイレでふと鏡を見たらマスカラの色が涙袋に移って目元がパンダみたいになっていて、すごくぎょっとした思い出。あの状態になっているとも気づかずに過ごしてたのは恥ずかしかった…。メイクはある程度ちゃんとしたものを使わないとよくないね。

 

まつ毛を切り落とす話からずいぶん現実的な話になってしまった。

 

生まれてこのかたずっと一緒のまつ毛は大切にしましょう。つけまやメイクでよりパワーアップして、目力、眼力、そして自信というエネルギーを生み出すのも素晴らしいこと。決して切り落とさないように。たまにはまつ毛の成長に思いを馳せましょう。

今あらためて「まつ毛」で検索したら、「まつ毛 パーマ」「まつ毛 エクステ」「まつ毛 美容液」「まつ毛 育毛剤」って出てきてびっくりした。みんなどれだけまつ毛を育てたいんだ。まつ毛の世界は広い。

 

逆に切り落としたところなんて見たことないから、いつかものすごい斬新なファッションとして流行ったりしてね。まつ毛が短くてナンボの世界、来るかな。

「まーくん」との思い出

幼稚園の頃、近所によく遊ぶ友達がいた。その子は「まーくん」という男の子。幼稚園は一緒だけど違うクラス。通園を一緒にするわけでもない。でもなぜかよく遊んだ記憶がある。

 

家から少し歩くとまーくんの家。私はまーくんの家までトコトコと歩いて、まーくん家のお庭の入口から「まぁーあーくん、あーそーぼ!」としょっちゅう叫んでいた。そうすると「はぁーあーい!」と返事が来て、まーくんが迎えてくれる。まーくんの家に上がり込んで、しょっちゅう遊んでいた。

不思議なもので、一緒に外で遊んだ記憶がない。幼稚園で一緒に遊んだ記憶もない。まーくんが私の家に来た記憶もない。いつも、私がまーくんの家に行って、まーくんの家で遊んでいた。

 

子供はなんでも面白がれる。遊んでいたと言っても、凝ったおもちゃで遊んだ記憶もない。田舎の大きな家のまーくん家。縁側(廊下?)に面して畳の和室が2部屋続いていて、襖を開けはなして全部つなげて、柱を中心にぐるぐる駆け回っていた。「畳の縁は踏んじゃだめだよ!」とかルールを作って、ぴょんぴょん跳びはねながら。それだけですごく楽しかった思い出。記憶はあやふやだけど、家の中で駆け回っていたことは覚えている。

 

まーくんには「かっちゃん」という弟がいた。だから、私・まーくん・かっちゃんの3人で遊ぶこともあった。まーくんとかっちゃんは正反対の兄弟だった。まーくんは自分のことを「僕」と呼び、おとなしくて品がよい。かっちゃんは自分のことを「俺」と呼び、元気いっぱいで暴れん坊。私の母が「あの2人はまったく反対よね」とよく言っていた。ある日、3人で折り紙で遊んでいたときに、かっちゃんがハサミをセロハンテープでぐるぐる巻きにして、ハサミを使えなくしたことがあった。中途半端に開いたままでセロハンテープにがちがちにされたハサミは、なんだか悲しそうに見えた。

 

まーくんにはおばあちゃんがいた。まーくんの家に遊びに行くと、いつもおばあちゃんも一緒に私を迎えてくれた。ニコニコと品がよく、短く切った髪に眼鏡が似合う、かわいらしいおばあちゃんだった。なんとなくだが、おばあちゃんはかっちゃんよりもまーくんをよく面倒見ていたように思う。私・まーくん・かっちゃんの組み合わせより、私・まーくん・おばあちゃんの組み合わせの方が多かった気がする。なんでだったろう。あまりその辺りのことは覚えていない。なんでかな、とは特に考えなかったんだと思う。当時の私にとっては、まーくんと遊ぶことがメインの目的だったから。

 

そんなに仲がよかったけど、幼稚園を卒業したらさっぱり会わなくなってしまった。変わらず近所にまーくんの家はあったし、まーくんはそこにいた。でも、私の家とまーくんの家の間に小学校の学区の境目があり、私たちは別々の小学校に進むことになった。それがきっかけかはわからないけれど、いつしか自然と遊ばなくなって、全然会わなくなってしまった。

 

幼稚園の頃は、同じ幼稚園で違うクラス、通園も別々、それなのにわざわざ一緒に遊んでいた。小学校に入ってからも同じように遊んでおかしくない。幼稚園の頃は、幼稚園にいる時間帯に一緒に遊んだわけじゃなく、一度家に帰ってからまーくんの家に遊びに行っていた。小学校が別になっても、同じように一度家に帰ってから私がまーくんの家に遊びに行くことは十分可能だったはずだ。それなのに、それをしなかったのはなぜだろう。

 

会わなくなると、不思議なことに「たまたま会う」ということすらなくなった。近所にいるのに、近所で見かけることもほとんどなかった。同じ道を反対方向に通学する私とまーくんは、ずっとニアミスしていたんだろうか。

小学校の高学年か中学校かのとき、本当に久しぶりにまーくんを見かけたことがある。数年ぶりだったと思う。そのとき、ちょっと遠くからまーくんを見ただけで、何も会話をしなかった。「久しぶり!」とか話せばよかったと思うけれど、その記憶が無いということは何も話さなかったということだ。お互い久しぶり過ぎて、会わなさすぎて、気まずかったのかもしれない。目は合わせたと思うんだけど。写真のような静止画の光景しか思い出せない。

 

自分は家の近所に同世代の友達が少なかった。小学校で友達はできたけれど、「同じ団地で幼稚園からずっと友達同士だった」みたいな子がいっぱいいた。自分の家はそういう子たちのコミュニティからは少し離れたところにあって、しかも同じ幼稚園から同じ小学校に進学する子が少なくて、交友関係は小学校でリニューアルされたようなものだった。幼稚園で仲がよかった友達とも会わなくなった。私は新しい環境の友達作りでいっぱいいっぱいだったんだろうか。「毎日学校で会う」という友達を優先させるようになったんだろう。そりゃそうだ、そのほうが毎日暮らしやすい。

 

 

まーくんとよく遊んだのは、たかだか1~2年の間の出来事だ。今振り返ると、まーくんの苗字は思い出せないし、正直言って本名もうろ覚え。はっきりと名前を思い出せない。だけど一緒に遊んだということはしっかり覚えている。

 

今日ふと、まーくんのことを思い出した。「まぁーあーくん、あーそーぼ!」と叫んだある日の記憶は、暖かくて晴れた春の日だった。日当たりのよいお庭と、テコテコと家から出てくるまーくんが目に浮かんだ。まーくん、元気にしてるかな。遊びに行かなくなっちゃって、ごめんね。

 

子供の交友関係は環境で目まぐるしく変わる(と、自分の場合を振り返って思う)。でも、そのときどきを全力で遊んだり、喧嘩したり、エネルギーの注ぐ量がいつも全力だ。だから、短い間の出来事でもしっかり覚えていることができるんだと思う。

大人になった自分は、とても省エネに生きているなと思う。月日がどんどん過ぎていって、数年前のこともよく覚えていない。内容が薄くなっているのだ。まーくんと遊んだ頃みたいに、ひたむきに目の前のことにエネルギーを注ぐ、そういうことをしたいなと思う。

 

まーくん、今どうしてる?げんきしてる?

ブログ更新が久々に続いている、めざせ毎日更新

4月3日から毎日ブログが続いています。社会人になってからこんなにブログ更新が続くのは久しぶりです。10日ちょいだけど。たまに日付またぐけど。今日も日付またいでるけど。

 

美術館に行ったときは記録を兼ねてなるべく書くようにはしていましたが、今はなんでもないこと含めて何か書くことをひねり出して、意図して「続けている」という感じです。4月3日には特に意味はありません。ふと、「ほったらかしのブログをちゃんと更新しよう」と思ったのでした。

というのも、自分は落ち込みやすい性格です。夜に一人で家にいると、どうもよくない方向に物事を考えてしまう。自分は必要ない人間じゃないか、なんでこんなに何もできないんだ、何をどうしたらいいんだろう。そんなことばっかりぐるぐるぐるぐる。夜眠れない、気を紛らわそうとスマホいじってたら深夜2時になってて翌朝しんどい、なんてこともしょっちゅうです。

何かに集中していれば、マイナス思考を追い出すことができる。それが今まではだらだらとYoutube見るとか、ほぼ作業ゲーになってしまったどうぶつの森をやるとかで時間を使っていた。もう少し、自分が興味があって(好きで)集中できて、「実になってる」と感じられるものをしようと思ったときに、ブログがあるじゃん、と思ったのでした。

書くことは好きです(上手かは別として)。ブログを更新できたら達成感もあるし。そんなこともあってここ10日ほどはブログを意識して更新しています。毎日更新が目標です。

 

「マイナス思考を追い出して他の事で頭をいっぱいにするため」という動機はあんまりポジティブじゃない気もするけど、書いているうちにモチベーションも変わってくるかもしれないし深く考えないことにします。「続ける」ことが大事だと思っていて。続けられたら、「自分こんなに書いたじゃん」と自分を褒めてやれる気がしているんです。

 

PVを稼ぐとかブログを有名にするとか、そういうことまでは考えていません。そういう目標がないので、テーマも内容も縛らずに思いついたままに書いています。なので読者はそんなにいなさそうですが笑、まぁやる気が出たらそういうこともしたらいいかなって。今は無理をしないで続けて、続けることで自信を得たいという感じ。すごく初歩的な感じがするけど、今はそれだって自分には難しいんです。自己肯定感を得ることが難しい。

 

とりあえずここまで続けられたので自分を褒めようかなと思います。

 

あ、一個嘘ついた。先日PC環境が無い日があって、その日は更新できなかったんだ。スマホで書けないこともないのですが、なんだかフォントが違ったりリンクの挿入が違ったりと、違和感があるのです。PCで書くことに慣れてしまっているので、その日は書き心地が悪くて更新しないでしまった。いつも家にいて自分のPCで必ず書けるわけでもないので、対策を考えねば。

 

まぁ意気込みすぎずに、このくらい緩いのもいいかなと思っています。

今日は本当~~に内容がなくてすんません。

問わず語りの心が切ないね~ルビーの指環~

幼稚園くらいに小さい頃、なぜか『ルビーの指環』という曲を歌えていた。世代からして合わない昭和の歌謡曲寺尾聰の名曲。さっきwikipedia見たら、ビルが建つほど売れたらしい。

ルビーの指環 - Wikipedia

曲の入りが独特なリズムで、声も印象的だったから覚えていたのかもしれない。

 

なぜ覚えていたかと言えば、母が車の中で流していたからだった。

私の育った田舎は車移動が基本。少し離れた祖父母の家にも、近所のスーパーへも、車の後部座席に乗せられていった。運転する母は自分の好きな曲をかけていたようだ。歌番組でよくある「昔のヒット曲特集」で『ルビーの指環』が流れるたびに、「なぜか知ってるんだよなぁ」と思っていたら、親がよく聴いていたのだった。母は、「子供の好きな曲じゃなくて自分の好きな曲だけかけてたわ、ゴメンネ」とアハハと笑っていた。

 

初めてしみじみと歌詞を読んだ。

www.utamap.com

 

男女の別れの歌です。フラれた男が、喫茶店から出ていった彼女を寂しく見送っている。情景がきれいに浮かぶ歌詞。歌詞といえばの松本隆。さすがの詞です。

「そうね 誕生石ならルビーなの」

幸せだった頃がわかる表現がこの一行に詰まっているのが、すごいなぁと思いました。その頃を思い出しているんだな、というフラれたその時の気持ちがリアルタイムに伝わる構成もすごい。

 

『プレバト!』という番組でよく俳句対決をやっていて、そこで解説の先生がよく言っています。「情景が目に浮かぶ表現をしなさい」。『ルビーの指環』は、情景が見えるし聞こえるし時間の経過も感じる、そんな歌だなと思います。盛り上がる歌ではないのにこんなにたくさんの人に聴かれたということは、思わず感情移入したくなるような歌だったんでしょうか。つぶやきたくなる歌だね。歌いたいっていうより、つぶやきたい。

 

歌は元気をもらうだけじゃなくて、寄り添ってもらう歌もあると思っていて。寂しい気持ちのときに無理に励まされると返って辛いじゃないですか。寂しかったり悲しかったりするとき、「そうだよね、わかるよ」と同じトーンの歌の方が励まされることもあるよね。

 

今の自分はどんな歌が聴きたいかなぁ。別にフラれたわけじゃないけど、少し自信がなくて寂しい気分なので、『ルビーの指環』を久々に聴いてみようと思います。

 

「くもり硝子の向うは 風の街」

 

どんな風が吹いているのか。